コマ割りのコード進行: 大友克洋に捧ぐ「童夢」論(作品内の実際の分析)

投稿者: | 2018年4月30日

前項に続いて、この記事では大友克洋の「童夢」について
論じております。
コマ割りのコード進行、というブログ筆者オリジナルの
テーマについて論じておりますので、
その主題についてPart 1 の記事を読んでない方は、
まずそちらの記事をお読み下さい。
続きとしての以下の記事は、実際の1コマ1コマに対する
考察になりますので、本編のネタバレを含みます。
一方で、すべてのコマを画像として引用するわけにもいかないので、
コマの分析をしているのに係わらず、
文字だけの文章となります。

というわけで、「童夢」本編を持っていて、且つ
全く素人の筆者が書いた童夢論を読んでみたい、という
(世界に一人いるかいないか分からない)読者向けの
記事です。
そんな奇特な方は、続きをどうぞ。

コマ割りのコード進行の概念図

前置きが長くなりましたが、ではまず一ページ目から。
これはある種のタイトルコールだろうが、
ページ全体を使って、広大な余白の上に、
ぽつんぽつんと子供が数人描かれている。
段組みによるコード進行という私自身の分析に無理やりつなげると、
四人でうずくまって地面を「俯瞰」し遊んでいる子供たちと、
横を向いて歩く下校中の少年、
コマの外部へ歩いて行くかに見える大人のそれぞれの視線が
互いに別々の方向に向かって注がれていることには、
物語への導入として注意すべきだろう。

そして、二ページ目。
吹き出しの中のチョウさんの独白にそって、
一段目が二人称での彼自身の部屋、
部屋自体の闇と外から注ぐ日が、
黒と白のコントラストではっきりと描かれている。
二段目はチョウさんの超越的な二人称、とも取れるし、
階段を上ってきた上野さんへの俯瞰とも取れるマンションの床、
そして三段目が、再びチョーさんの二人称に戻り、
収集したがらくたの類が灰色に描かれる。

三ページ目、帽子を被った上野さんへの俯瞰に戻り、
二段目、三段目を省いた広い視点で、
上野さんが飛び込んでいくべき非常口への奥行きが描かれる。
マンションの硬質な白い壁は、何の問題もなく、
少なくとも刑事たちに自殺の動機として調べあげられる
何物も手掛かりとして与えられていない、
上野さんという平凡なサラリーマンの歩く
白々しい通路を象徴し、
次頁、見開きの一枚絵で、
そうした他人に興味のない個室からの
白色蛍光灯の明かりが漏れ出している公団住宅の闇の中へ、
どさっ、という一つの擬音を伴って落下していく事態が、
俯瞰、且つ引きの画で緻密に描かれる。

そしてその引きは六頁の一段目で白地ベースに
植え込みの黒の交じる俯瞰、
及び引きの構図に引き継がれ、
マンションの昼と夜の両義性を湛えたまま、
二段目では横抜きのマンション住人たちによる三人称、
三段目、自殺者の救援に奥行きから駆けつけた救急車、
及び刑事により、払いのけられた人だかりの元、
単に起こってしまった事態に対し噂しあうだけの群衆から、
警察の側へ視点が移される。

七頁、一段目、二段目で刑事、部長、鑑識による
視線の往還(会話)が三人称で続き、
三段目で屋上への仰角、
マンションにおける不審死の立体的な構図が示される。

八頁、横抜きの三人称によるマンション住人同士の会話に移り、
そこへ、二段目で奥行きから三浪の勉くんがやってきて、
マンション住人の他愛のない噂話とは対峙的になり、
三段目で背景が灰色がかった無表情のクロースアップになる。

九頁、一段目で横抜きの三人称目線に勉くんと
チョーさんは並列に座らされ、
二段目では勉くんによるチョーさんへの二人称
(またこのボケ老人か……)による
彼自身の中の鬱屈とした浪人生気分への暗示と、微妙な奥行き、
刑事のやってくる道への何気ないチョーさんの対峙的な意識が
二コマ目において混在する。
三段目、刑事をからかう少年たちとそれをあしらう刑事との
三人称的で牧歌的な共感覚は、

十ページ、一段目で去っていく刑事の後ろ姿への
チョーさんの視線による二人称、
及び奥行きとして読者に提示され、
ピストル、というチョーさんの呟きが
次に事件の経過する目的地だと予め示される。
二段目、その事件を解決すべき対策本部の庁舎が引きで示され、
その内部で試されている一般的な捜査の何の役にも立たぬことを、
刑事同士の面を交互に引き写した三人称的な描写(会話の往還)に
よって示す三段目以降のコマへと流入する。

十一頁、一段目では刑事の一人が事件を概観しようとして
少し俯瞰的な角度から数字を示し、分析を試みるが、
それも無益であり、
二段目、奥行きから調査結果を引っさげて高山が登場するが、
何も成果はなし。
三段目、詳細を報告する刑事たちのそれぞれの視線は絡み合わず、
三人称的なまま、あさっての方向を向いている。

十二頁、白い社屋をベースに刑事たちの座り姿を横から引きで撮る。
二段目、三段目においてもそれぞれの刑事たちの顔が矢継ぎ早に
交錯するが、背景を細かな黒白の交差線で縁取られた部長以外は、
事件の本質に何とか辿り着こうという気概が見えない。

十三頁、部長の顔がクロースアップ気味になり、
二段目においては背景も黒く変わる。
また、一段目、二段目で部長との会話に応じる刑事たちの捉え方も
やや仰角気味になり、
三段目での部長による会議の総括としての
俯瞰図を導くきっかけとなっている。
さらに言えば、部長のスーツの色はグレーであり、
高山のシャツとズボンもグレー(彼のネクタイは黒)、
会議全体の俯瞰図の背景の灰色がかっている点にも注意が必要だろう。
この辺り、冒頭で示されたマンションの公共性としての
コンクリートの白の白々しさと、
自殺者の急増という夜の闇の黒を、
色の上でも刑事たちが事件を分析するにあたり
捜査の範囲が変更されていくことを暗に示唆しているかもしれない。

十四頁、場面が切り替わって、夕暮れの空の灰色の不穏さは
部長の会議の総括の俯瞰図の背景の灰色から引き継がれ、
一段目、二段目と引きの構図による公団住宅の日常が描写され、
三段目でやや俯瞰気味、情報筋を当たろうとする
山川部長によるため息に続く。

十五頁、一段目で団地の内情に詳しい者の
二人称で山川部長が抜かれ、
「あなた」は事件の解明への道筋に団地内部の情報を
導いていくことを促される。
直後、ベンチの前の部長と男の共感覚になり、
二段目、うつむいて事件を概観しようとする部長と、
ただ情報を断片的に風景としてみているだけの男の視線が交錯する。
目の前の子供の遊び姿を引き気味で捉えた三段目は、
互いを探るような二人の男の
三人称目線としての顔の対比に変わり、

十六頁、一段目で情報筋の男は彼方に消えてゆく
子供たちの後ろ姿を見守りながら、
部長の俯瞰目線に同調し、団地内の人物たちについて語り始める。
二段目ではその奥行から手塚さんという子を流産した母親が現れ、
三段目で彼女の虚ろな顔のクロースアップ、

そして十七頁、一段目で横並びになった部長と情報通の頭が
三連で別々の角度から話を矢継ぎ早に移り変わらせるように
切り取られる三人称、
二段目でマンション上部のベランダに仰角で目を移し、
よっちゃんの虚ろ気なクロースアップをはさみ、
三段目であっ、という事情通の声とともに
部長と男は視線を同期させ、
ベンチに座る吉川への二人称。

十八頁、吉川と、
隣りに座るチョウさんへの情報通による描写が二人称で続き、
二段目、ここで視点人物が入れ代わり、
三段目、部長が立ち上がるさまが、
今度は吉川の二人称によって描写される。
この頁では、吉川と部長、及び情報通が、
事件に直接関わりのあるかもしれない対象として、
お互いがお互いを観察しあっているといえるだろう
(実際の核心は隣りに座る呆けた老人だが)。

十九頁、部長の到着する引き気味の警察署にも奥行きがあり、
合流する高山の効果線、
二段目の刑事らとの視線のやり取りにも奥行き、
移動を感じさせる構図が続き、
三段目、扉を開き、取調室内部に居るのぶこさんとの対峙、が
鮮明になる。

二十頁、その対峙はより強く、
刑事らとのぶこさんの完全に正対した二人称の往還になる。
その背景の黒くなった伸子さんの側の二人称を引き継ぎ、
二段目では伸子さんによる上野さんを目撃した時の回想、
奥行きに向かって上野さんは歩いて行く。
三段目、今度は刑事らの側からの二人称になり、
事件の核心に迫るように彼女と再び正対。

二十一頁、一段目と二段目で情報を共有し合った刑事と
信子さんの視線は三人称による共感覚的なものになり、
三段目、再び背景黒色ののぶ子さんの無表情なクロースアップに
導かれるようにして、
彼女の見た背後からの上野さんの帽子姿を二人称で描写。

二十二頁、一段目で奥行きを高山ともう一人の刑事が移動してきて、
二段目では三人称の部長による伸子さんの取り調べが続き、
三段目は二人称だが、右と左で景色を見つめている人物が
回想するのぶ子さんから実際の現場のタケシくんに会った
高山へ変わる。

二十三頁、一段目で少し引き気味の三人称になり、
タケシくんの家族とともに帽子の所在を探すが、
二段目、外への奥行きの閉ざされた玄関への
タケシくんの母親による二人称で不穏さが繋がれ、
三段目、部長による二人称に描写された背景が
黒に近い灰色になったのぶこさんの独白により、場面が移る。

二十四頁一段目、仰角のマンションを黒い闇が覆い、
二段目、完全な俯瞰で警官二人のパトロール姿が映し出される
(この俯瞰は、マンション上部からの「外在的な」チョーさんの
二人称と取ることもできるだろう)。
三段目、警官同士の何気ない麻雀話の三人称に続き、

二十五頁、一段目で仰角の外灯が映しだされ、
黒地の背景の中で立ち小便、
警官の片割れは残された警官の視線の外部へと消えてしまう。
二段目、手に持った懐中電灯と、
上部から照らしだされる円形の光で切り取られた地面以外
真っ黒な暗闇から、チョーさんの声がし、振り返ると、
三段目は超越的な能力(及び視点)に気付いてしまった
警官のクロースアップ。

二十六頁、一段目で街頭の明かりを頼りに
警官が小便から帰ってくると、暗闇のうちに、
三人称的な共感覚を持っていたもう一人の人物は
もうそこにはいない。
二段目、植樹された黒い木々の影に覆われた背後の
引きの構図の奥で、
ドサッ、という音がし、
三段目でその音のした方の奥行を警官が振り返る。

二十七頁、一段目では警官のクロースアップに飛び降りて死んだ
警官の遺体への二人称が一コマの中で重なり、
「何か」への予感と、その何かが於きてしまった結果としての画が
直接つなぎ合わされている。
二段目では部長や高山の着た白い(実際にはベージュだろうが)
コートと鑑識の電灯、
事態を認識しようとする会話がマンションからの
俯瞰のもとに重なり、
三段目ではそこに数分前まで共にパトロールしていた警官の証言も
三人称的な手掛かりとして加わってくる。

場面が変わり、二十八頁、一段目で報告書を携えた高山が
奥行きを事務所に向かって歩いて行き扉を開き、
二段目で全く事態を収集できない部長との対峙。
ここでも高山、部長の背景は黒に近い灰色だが、
三段目、一切事態を解決できず無知のままの室内は極端に白い。

二十九頁、一段目で冷静に事件を分析する同僚と
高山の対峙的な構図、
二段目で三人称的な視線の往還のもと、
部長によって遺失物の創作という方向性が示され、
三段目、効果線とともに、前ページの一段目で示された奥行きを、
再び高山と同僚が引き返していくさまが描かれる。

三十頁、見事なまでに形式化されたコマの展開。
一段目で引きの公団住宅、空も壁面も白っぽく、
平穏な日常、昼の時間帯を指し示す。
二段目、引き気味で取られた横からの住人のやり取りの断片が
二つのコマで示され、
三段目、一段目とはまた違う角度から捉えられた
同様の目線の高さからの引きの画。
灰色がかった空の色で夕暮れの到来を暗示する。

三十一頁、一段目に、
外灯とマンションの通路の光を仰角で眺めながら
山川部長が現れる。
二段目では、高山ともう一人の刑事の捜査報告を頭の中で整理し、
「俯瞰」しているが、
三段目、闇の中で座ったベンチにおいて、
記憶の中の彼らと三人称的な会話を切り結んでも結論は出ない。

三十二頁、この頁には二段しかなく、一段目を使って、
チョウさんによる超越的、且つ外在的な視点を、
植樹された黒い木々の枝枝に形作られる影によって表現している。
二段目、その暗がりの奥行から、
ぽんぽん、と事件の本質をほのめかすボールが転がってくる。

三十三頁、一段目、その奥行を山川部長は見るが、
二人称的には描写されず、部長のさらに背後から事態が俯瞰される。
そして仲間からの着信を確認しに部長は公衆電話に向かって歩くが、
三人称的に会話は往還せず、
少し引き気味のアングルにより視線の外在性のみがさらに示される。
三段目、怪訝な顔つきの山川部長の横からのクロースアップになり、

三十四頁、まだ捜査員との共通の認識のもとに、
事件が起こる際に物がなくなるという経緯を想起し、
隣に誰か居るような形でボソリと部長は呟くが、
二段目、その詞が誰かと共有されることはなく、
物の破壊、一方向的な(奥行きへの)部長の言葉の否定として、
チョウさんの二人称、つまりは上方のマンションからの俯瞰として、
本当の事件そのものの瞬間に立ち会ってしまった
山川部長のクロースアップに導かれる。
この二段目の二つのコマは非常に重要である。
なぜなら、今述べたように、視点が山川部長からチョウさんへ、
そして奥行きへの力の権限として多重に混在し、
いかようにも解釈できるものとして措定されているからだ。
三段目、暗闇の中の奥行きを追跡しようとする
部長とチョウさんの視点の主催のせめぎあいとして、
この人物に内在した視点と外在的な視点によるコマ解釈の二重性は暫く続く。

三十五頁、一段目で不安定さの示された
斜めに傾いた路上を部長はさらに追跡するが、
二段目で完全に頭上から見下され、
チョウさんに内面と心内語を読みこまれてしまう。
三段目で二人称的に実際に山川部長が見ているマンションの
入口と外在的な視点からの山川部長の立ち姿が対比され、

三十六頁、声のする上部に導かれるように、
チョウさんによる完全な俯瞰の中を山川部長は、
コマの一段目、二段目、三段目と進んでいく。

三十七頁、俯瞰された上部への歩みは、
完全に内面の弱みを見透かされたように、効果線を付され、
一段目から二段目、三段目へと、
今度は奥行きを持った通路への強烈な進行に速度を倍加させていく。
口を開いているのは、物語の冒頭で上野さんが導かれた非常口である。

三十八頁、一段目で屋上へたどり着いた山川部長を再び俯瞰し、
二段目、自身を見つめる山川部長の頭部もやはり背後から
チョウさんは見透かしている。
そして、三段目、完全な黒背景のもとにチョウさんは浮かんでいるが、
ここで注意しなければならないのは山川部長の
二人称によって描写されるチョウさんの姿が、
完全な白、つまりは自殺者の急増などの事件とは色の象徴として
一見無関係に見える白地で描写されていることだろう。

三十九頁においてもそれは同様だ。
チョウさんの背景は真っ黒だが、チョウさんそのものは白いのだ。
完全にボケきったチョウさんという老人の収集癖は、
団地に巣食う不審死の原因として糾弾されるより、
ひとまず三十九頁のクロースアップされた山川部長の目には、
無垢な、公共住宅の抱えざるを得ないある種の
「公共性」の象徴のように映ったのではないか。
この点はまだまだ以後の論述でも積極的な考察が必要だろう。

ひとまず話を進ませて四十頁。一段目、引きの、
木々の黒と住宅地の白のコントラストが強く出来た敷地に、
二段目、トラックで奥行きから悦子一家が越してくる。
三段目、その奥行を静かに眺めているチョウさんの二人称と、
敢えて認知症老人を演じるチョウさんの自身に突き刺さる
視線の予期が対比される。

四十一頁、一段目で奥行きのあるベランダの手前から奥へ、
力の顕現により赤子の所在が移される。
三段目、不安定な手すりへの仰角から、
落下を命じるチョウさんへの(実はさらに外在的な悦子による)
二人称が続く。
赤子の落下への引越し業者と悦子の父親の視線も含めた仰角は続くが、
それを作用させた力に、
悦子はクロースアップされ、すっ、と気付く。

四十二頁、非常に不謹慎な換喩、仰角からの予期された落下が、
実際に死んだ山川部長への餞として高山により提示される。
二段目、三人称での警官同士の会話に移り、
三段目、再び仰角で一瞬遅延された赤ちゃんの落下、
しかし目を瞑るチョウさんの得意顔は実は悦子により
「俯瞰」されている。

四十三頁、自分以外の力の所在に気付いてしまった
チョーさんのクロースアップ、
二段目、奥行きから悦子がやってきてチョウさんと対峙。
三段目でその奥行は、
チョウさんの二人称に対する完全な対峙として提示される。

四十四頁、手元の石ころを弄ぶようにまだ世界を
俯瞰可能かどうかチョウさんは試すが、
その悦子という奥行きへの投射は、
二段目、クロースアップの往還と、
三段目のベンチ裏の衝撃により、完全に無化される。

四十五頁、この頁には二段しかなく、チョウさんが
コントロールする力を失った公団住宅の敷地が「俯瞰」で再提示され、
その「俯瞰」に目を落とすチョウさんの大汗をかいた顔が
クロースアップで抜かれる。

四十六頁、この頁にも二段しかなく、前頁で外在的な
視点の二重化された引きの構図をやや仰角気味で歩きながら、
岡村部長が登場する。
二段目、無垢な公共性の代表とも言える子供たちと
事件を憂慮する部長の別個な二つの奥行きへの移動が対比される。

四十七頁、完全な横からの子供たちの三人称。
二段目、その会話の中に一瞬、岡村部長も紛れ込み、
三段目、その平穏さを見送るように岡村部長による二人称で、
一見事件とは無関係に見える子供たちとの距離が、
奥行きとして示される。

四十八頁、視点は悦子と子供たちによって引き継がれ
三人称での会話、
二段目、子供たちによる二人称に対峙的な吉川くんの画、
三段目、仲間である子供たちと外れた吉川くんの視線の対比が、
人称の視線の往還に挟まれた三人称で示され
(吉川くんの父親に子供が言及するとき
吉川くんの背景は黒くなる)、

四十九頁、一段目で同様の構図が続き、
二段目で完全な正面切った二人称同士の対峙、
三段目、吉川くんの彼方への移動は、
灰色のコンクリートのもとで(酒に対する蔑みとともに)俯瞰される。

五十頁、一段目での目を瞑った岡村部長による
山川部長の死の俯瞰は、
二段目、三段目での位牌に線香上げた時の直近の記憶の
二人称的回想にしかならない。

五十一頁、事件の経過中に死んだ人数を数えながら
足元の煙草を消すが、
二段目、岡村部長に対する二人称的視点に開示されたのは、
口を開ききった岡村部長の背景黒塗りの驚愕した
一人称のクロースアップによってしか目の当たりにされることのない、
三段目の霊体となった山川部長の姿だった。

五十二頁、一段目でその姿への視線は事件の核心への
ヒントとなるように効果線を伴った奥行きとして提示されるが、
二段目、郷愁を伴って歩み寄る横からの岡村部長による
「三人称」は、
三段目、俯瞰された視点からの警告として閉じられる。

五十三頁、一段目であおり気味に声の方を部長は見つめるが、
二段目、強い口調での彼への非難が俯瞰目線で続き
(声は山川部長のものではなくチョウさんのもの?)、
三段目、引き気味の背後の長閑な公団住宅を写しとった
画の手前の岡村部長の困惑した顔に帰着する。

五十四頁、一段目で引きの黒塗りのマンションから
各部屋の白い照明が漏れる。
二段目は受験生の勉くんにより俯瞰された
小さなプラモデルの世界。
三段目、勉くんによる計算式との対話、勉学を、
ある種自主的に課した三人称的な対話だろう。

五十五頁、彼を応援してくれている母親が重荷となっているのか、
対峙的に奥行きから現れる。
二段目、お互いを意識している彼女との
二人称的な視線の往還をやり過ごした所で、
三段目、机の上のライトのもとでの俯瞰的な遊びが始まる。

五十六頁、急に部屋は灰色になり、
引きで映しだされた室内の不穏さを追認するように、
ベランダの外の暗闇からチョウさんが移動してくる。
しかしこの引きの構図は、実はさらに外在的な視点からの
悦子による(彼女に対する)
二人称的な呼びかけとして機能する。

五十七頁、一段目でチョウさんに俯瞰された勉くんのたじろぐ姿、
二段目で勝手に動き出すプラモデルに内在した「力」との対峙
(手前の奥行きを感じさせる立体的な画)。
三段目でそれに気付く一人称の悦子のクロースアップ。

五十八頁、奥行きから、
事件を解決しようと決意を固めた黒いコートの岡村部長が現れる。
二段目、事件の解決不能性に浸された刑事たちと二人称的な対峙。
三段目以降、上方を共有するたびに徐々に
三人称的な視点のもとに打ち解けていく。

五十九頁、一段目、以上のように、と一人の刑事が事件を
俯瞰しようとするが何も得られず、
二段目三段目で三人称的な会話の往還、暗い、
それぞれの部屋の住人が口を閉ざしたマンションの夜への
俯瞰に捜査の道筋は飲み込まれてしまう。

六十頁、本来なら横に抜かれたショットの中で
「三人称」として興じるべきボール遊びを、
吉川くんは彼方への投射、として遊んでいる。
二段目、近づいてきた悦子との三人称となり、
三段目、二人称同士の会話のぎこちなさが吉川くんのおでこに当たる。

六十一頁、一段目で本当の二人がかりのボール遊びでの三人称になり、
二段目、再び外部から近づいてきた人間への二人称敵対峙、
三段目、よっちゃんのジャージの灰色が仰角で示される
(その前から吉川くんも灰色のセーターを着ている)。

同じ時刻、六十二頁、一段目にマンションのトイレに
奥行きから高山が入って来、
小便をしながら部長と三人称的な会話、
二段目で手を洗う部長とまだ小便をし終えたばかりの高山の間に
対比的な奥行きが出来、
三段目でその奥行は屋上における心霊体験の有無に関する距離感になる。

六十三頁、一段目で三人称的な共感覚の出来ぬまま無理やり事態を俯瞰、
二段目で二人称的な二人の対比となり、
三段目では高山の視線の先の完全位三人称的な共感覚を獲得した
悦子と吉川くんとよっちゃんがボールで戯れており、
ただその三人も、仰角の時計で示される夜の訪れによって
関係性を解消させられてしまう。

六十四頁、夕ごはんによって引き剥がされる
悦子と吉川くんのそれぞれの二人称。
長い影の色と夜のもとに立ち尽くしていなければならない
吉川くんとよっちゃんに対する俯瞰。
三段目で、その二人を包含するような夕暮れの引きの画に、
目を落としながら高山が「幽霊……か」と呟く。

65頁、一段目で、悦子の帰ってきた室内の明るさと外の闇を
奥行きで対比。
二段目、同じマンションの通路の奥行きを吉川くんも帰ってくるが、
三段目で入りこんだ明るい光で満たされているはずの部屋の中は、

66頁の一段目、吉川のせいで驚くほど暗い。
二段目と三段目で、お互いを無視しながらも対峙する、
半二人称的、半三人称的な関係がコマの上で切り結ばれる。

67頁、一段目に机の上に散乱した酒瓶という吉川の俯瞰する小さな世界、
二段目の横に広いコマの中へ三人称的な共感覚を強制するように
チョウさんの頭部が現れ、
三段目、同様に外在的な俯瞰に晒された勉くんの部屋で
勝手にプラモデルが動き出す。

68頁、それは彼の俯瞰した小さな世界への破壊へと続き、
二段目、彼らと呼応するように、かなり引きのマンションの暗闇から、
奥行きの中を唯一「俯瞰」できる乳母車を引いて
手塚さんがカタカタと現れる。

69頁、俯瞰は悦子自身によるお使いの道筋でもあるが、
二段目、ボタンを押しエレベーターの扉が開く辺りは
チョウさんの視点を包含してもいるだろう。
三段目、それが悦子による上部の階層表示への仰角になり、

70頁、勉くんのチョウさんに操られた能面の完全な一人称
(クロースアップ)。
二段目で二人称的な悦子と勉くんの対峙、さらにそれは、
一人称的な痛みを予期させるものとしてのカッターへの
クロースアップとなり、

71頁の一段目、効果線とともに勉くんは対峙した
奥行きに手を突き、
二段目、この構図は仰角というより悦子と勉くんの交錯する
二人称の入れ違った瞬間と見るべきだろう。
三段目、その刺突はエレベーターから逃れた悦子と勉くんの
距離感の奥行きとして提示され、

七十二頁、繰り返されるカッターのクロースアップを
悦子は視線そのものによって相手を遮る能力、で止めようとするが、
二段目、対峙する勉くんの膂力によってそれは突破され、
三段目、チョウさんによって操られてはいるが、
黒地の背景のもと、
彼自身の一人称にとって最早彼自身の人生に未練はないように、
悦子の二人称のもとに差し出された勉くんの能面は、

73頁、勉くんを飛び越えて視線の外在性を排除しようとして
「能力」を飛ばす悦子を無視し、
二段目、今度は背景白地の一人称の下、
彼自身の意志であるかのように、
三段目、二人称として対峙した無垢な子供の前で
三浪のうだつのあがらない浪人生は首を掻っ切る。

七十四頁、黒い血で汚れた服と対峙する悦子の「奥行き」を、
チョウさんはさらに背後から俯瞰している。
二段目、悦子のクロースアップ、端的な忌避の念が顕になり、
三段目、結果としての黒い血は全く予期したものではなかった
というように勉くんは虚ろな目をしたまま悦子に近づいていく。

75頁、二人称と二人称の交錯は互いに折り重なった
一人称として一コマの中で接合され、
さらにそれを下の段でマンションの一室から笑い声立てる
チョウさんが俯瞰している。

76、77頁。完全な引きの構図であると同時に、
二人称としての悦子が見た最後の光景であり、
クロースアップされた勉くんの能面が感じた最後の痛み(一人称)、
としての血は床と柱に塗りこまれ、
その彼の体を破裂させた力は
マンションの通路の奥行きにまで延長され、
ページ左には階層化されたマンションの構造に対する仰角がある。
つまり、直後の頁から始まる現場の三人称的な検証も含め、
物語を読み進めてきた読者にとっては無意識に明示的な形で、
この見開きに全てのコード進行が含まれていると言って良い。

大雑把にまとめれば、それは、勉くんという公団住宅の一般的な
住民から若干、白眼視された人間の一人称に、
平穏な三人称的な共感覚を享受して生きていた子供(悦子)が、
二人称的に立ち会わさせられてしまった結果としての、
チョウさんによる外在的な視点からのふざけ笑いを含んだ、
「俯瞰」であり、「引き」である。
そしてそこにぶちまけられた血、という事態を可能にしたのは、
唯一、奥行きへの移動を制限し、
規定するような悦子による投射の能力の結果としてである。

78頁、引き気味の構図に、
三人称的な警官たちの複数の視点が入り込んでくる。
が、ややクロースアップ気味にとられる部長た刑事の顔は、
その辺りの惨状には極めて無関心なままである。
三段目、部長は全く事件の手がかりを得られないまま足元を俯瞰し、
そこを去ろうとする。

79頁、部長はとにかく事件の断片の報告を受けながら、
解決しえぬ状況を現場に残したまま
奥行きからマンションの外へ歩いてくる。
二段目、その移動は、部長による二人称的な視線のもとに、
片や移動を遮られている勉くんの母親の差し迫った訴えと交差する。
三段目、しかし、仰角で捉えられる彼女のクロースアップからは、
マンションの立体的な構造がチョウさんによって捉えられることで
実現した現場の息子の姿は隠されている。

80頁、一段目で事件そのものに対する住宅全体の反応が俯瞰され、
二段目、住人による二人称と彼自身による一人称が交差し、
吉川のクロースアップ。
三段目、高山が登場し警官同士の三人称。

81頁、一段目で医者と部長による悦子の状態の俯瞰、
二段目、対峙的な病室の悦子の母親と
侵入してきた部長の二人称の往還。
三段目、事件の帰結への手がかりとして俯瞰的に覗きこむ
部長の俯瞰からの、悦子の臥せっている顔のクロースアップ。

82頁、一段目で事件の現場の奥行きを確かめにくる高山、
そのまま同僚と移動、何が起こったのか、を
二段目で仰角気味に把握しようとするが、
血の痕跡によって、
誰かの痛みがそこに存在したことしか把握できない。
三段目、その解明できない事件の真相を覗き込んだのと同じ仰角に、
山川部長の亡霊が居る。

83頁、その「真相」に気付かさせられてしまった高山の
驚愕の表情を、俯瞰気味にアップで抜く。
二段目、三人称の警官の共感覚に戻り、
高山は自身の見た「幻覚」をひた隠す。
三段目、高山による言葉を飲み込まれたマンションの壁面は、
引きで、一般的な公共性を湛え直したものとして再提示される。

84頁、一段目で、自身の息子の死、という
奥行きへの移動を拒否された佐々木さんと吉川くんがすれ違い、
二段目、手前から吉川くんを二人称的な視線が抜くが、
その視線の所在は隠されている(実は次頁で出てくるチョウさん?)。
三段目、よっちゃんに注がれた吉川くんの視線、
ボールへ注がれるよっちゃんの視点は、
日陰に溶け込んだよっちゃんのグレーがかった体躯とともに同様に、
さらに背後にあるチョウさんの視点から俯瞰されている。

85頁、一段目でよっちゃんに駆け寄った吉川くんとの
二人の共感覚による三人称。
二段目、さり気なく覗きこまれたボケ老人としての
チョウさんとの二人称の往還。
三段目、その対峙が、背景黒塗りのチョウさんによる
挑戦的な顔のアップから見送られる吉川君とよっちゃんの
後ろ姿として強調される。

86頁、黒い瘴気に浸されたようなマンションに訪れた
闇を引きで定置。
二段目、俯瞰で見下される吉川。
三段目、一人歩く吉川に、
三人称的に友人のような感覚で語りかけるチョウさん。

87頁、一段目でさらに吉川を俯瞰、
二段目、それまで辛うじて白い光のもとにあった
吉川の体が灰色に染まり、黒い銃が落下してくる
(ここは、ある種銃という「投射」武器の威力を
目の当たりにしてしまった
吉川による一人称と言ってもいいだろう)。
三段目、その、彼の標的であるかのように、
真上から悦子を俯瞰。

88頁、時間が巻き戻り、どこかの大学の校舎の引き。
語り手は高山。
二段目でキャンパス内を移動し、
三段目、二人称の往還で教授と対峙。

89頁、一段目、二段目、三段目若干俯瞰になるが、
単調な二人による会話の往還。

90頁、別の警官が、黒い制服で事件の真相を追い、
一段目、仰角でチョウさんの部屋の割れた窓ガラスを確かめる。
二段目、仰角を保ちながら管理人と移動。
三段目、引き続きマンションの構造の中を繰り上がっていく。

91頁、一段目、各部屋へ繋がった高所の
通路の奥行きが提示され、
二段目、不在のチョウさんとの部屋内部での
二人称的な対峙の図で、警官が部屋へ押し入っていく。
三段目、悦子の投射による痕跡の残る割れた窓ガラスへの奥行き。

92頁、一段目、足元に落ちている指輪への俯瞰。
二段目、それは事件への手掛かりとして場の転換の動機となり、
三段目、高山の霊能者宅への移動に連なる。

93頁、一段目、高山による二人称、だが、
直前のチョウさんの部屋に顕在化した実際の「力」とは対照的に、
二段目に引き継がれた霊能者への対峙は、
三段目、まことしやかな霊能者のクロースアップを経ても、

94頁、一段目のやかましい声に対する
三人称的な落胆にしか行き着かない。
二段目、教授のもとに戻り、実際に、
きちんと対峙してもらえる能力者を紹介するように頼み直し、
三段目、七三分けの女との再び二人称的な対峙
(彼女の背景は灰色である)。

95頁、一段目で三人称的に意識を共有しようと
高山が大雑把に事件の概要を説明し、
二段目、背景真っ黒な七三分けの女への高山の二人称。
三段目でその事件の舞台となっている引きの公団住宅の
遠景を改めて提示。

96頁、一段目、子供たちがそれこそ引きの一見
平穏に見える横からの眺めの中で無邪気に遊んでいる。
二段目、しかしその眺めのベンチの上でチョウさんは
力の所在を感じ取られ、
さらに彼を凌駕する力で持って一人称的に、
自身の本性を隠し遂せず、冷や汗を書きながらぶるぶると震えている。
三段目、遠目から完全に対峙した悦子の姿が映し出され、
強い視線による投射。

97頁、一段目、力には正対せず、
悦子とチョウさんの居る傍へ流れ込んでいく道路は斜めに伸び、
奥行きを表し、
二段目、高山に引き連れられた霊能者は
三人称的な会話を途絶えさせ、
彼女にしか気づきえない力の所在に気付いてしまう。
三段目、チョウさんと同様に背景黒塗りの七三分けの
女の顔にも冷や汗が流れる。

98頁、二人称的なチョウさんと悦子との対峙は、
奥行きへの圧倒的な投射的な力であり、
一方でそれは、灰色に染まった窓ガラスの鏡面に写り込んだ
悦子自身の力の反射でもある。
この一段目の一コマ目には、無垢な少女である悦子の白さと、
事件の張本人であるチョウさんの力をも凌駕できる能力者としての
悦子の力そのものの漆黒が、
両の手を合わせた鏡像として反射しているだろう。
二段目、七三分けの女の二人称により描写された背後の暗闇に
高山は気付かない。
三段目、霊能者は目の細かくなった足元のタイルの
境界の上で立ち止まり、
自身が俯瞰されるちっぽけな存在にすぎないことを表現する。

99頁、一段目、大汗をかいた霊能者の顔のクロースアップ。
二段目、その霊能者の姿をも含んだ「平穏な」
公団住宅の引きの画。
三段目、敢えてそれに気づかなかったように、
霊能者は奥行きではなく、平行な移動として、
一般人のように踵を返す。

100頁、一段目で、母親として対峙する
悦子のお母さんと悦子との二人称的な視線の往還、
二段目、これで悦子の二人称から逃れられた
チョウさんの安堵した顔、
三段目、霊能者による今後起こりうる事態の大雑把な俯瞰、

101頁、一段目で、力の見えるもの(七三分け)と
見えないもの(高山)の視線の、
三人称的な合流をむりやり高山は霊能者につきつけられる。
二段目、そこの子供、という言葉に惹きつけられ想起するのは、
しかし本来なら子供が軽々しく出歩くべきではない
「夜」の領域に対する引きの構図である。
三段目、その俯瞰された路面を買い物袋ぶら下げた
子供が歩いてくる。

102頁、一段目、子供が目を落とした足元に、
二段目、自分自身の臨む眼下に落下させるように
吉川はピストルの引き金を引く。
三段目、吉川の体は灰色に染まり、
チョウさんに俯瞰された路面と同化して笑う。

103頁、一段目で彼を見下ろしたマンションの部屋から
声が漏れる三人称を形成するが、
二段目、操られた吉川との距離感は暗闇のもとで
銃を放つ仰角として維持され、
三段目、事態の推移を観察する三人称的な声に見送られ、
暗闇から白い光で満ちた診療所の中へ。

104頁、一段目で窓ガラスにもたれかかる
吉川に対する悦子による二人称と、
二段目でそれに対する悦子への吉川の側からの二人称
(しかし悦子の背後の奥行きは
彼女の投射的な力を暗示するように不気味に黒い)。

105頁、一段目、黒い銃の手触りのクロースアップ、
二段目、悦子の力に抵抗しようとする覚悟と、
力の行使そのものへの警戒感の入り混じった
一人称的な表情のアップが、
灰色背景のもとに両義的なものとして描かれる。
三段目、銃そのものの黒さに比して
それで打ち割られた窓ガラスの破片及び、
その衝撃は白く描写されていることに注意が必要だろう。
それは見えない領域のものを自在に見る、
まさに暗闇のうちの外在的な視点の権化のような
チョウさんの能力とは無関係の、手触りのある痛み、
敢えて言えば窓ガラスの一人称とも取れる。

106頁、事件へのマンションの各部屋からの俯瞰。
白い光と会話が三人称的なものとして共有される。
二段目、その三人称的な会話の中に降りてくる吉川くん。
三段目、横からの構図だが奥行きを伴っている。
手前に露呈した一人称的な体の反応(死)へ、
見せかけの公共性を保とうとする
警官がどう歩み寄ってくるかを住人のそれぞれが見守っている。

107頁、俯瞰的にひとまずその死のみを確認した後、
二段目、犯人の行き先として二人称的な視点から、
白い室内と奥に潜む闇を湛えた診療所の内部が
引きの構図として示される。
三段目、その場に対する移動の拒否と横からの
端的な三人称的な会話の往還。

108頁、一段目で夜陰を切り裂く住人の吐息を
三人称的なものとして白く提示。
二段目で、その共感覚をよっちゃんと吉川くんの元へ移動させ、
三段目でよっちゃんと吉川くん、及び警官の個別の移動を
それぞれ奥行きとして表現する。

109頁、住の仕様に対する警官同士の
二人称的な事態へどう向き合うべきかという会話の対峙。
二段目で強い暗がりを事件の核心へ歩んでこようとする
吉川くんとよっちゃんの移動。
三段目で彼らの人称に映しだされる強い暗がりの引きの構図
(ここでもチョウさんの姿は闇から浮き出るように
白く描写されていることにも注意が必要だろう)。
吉川くんの二人称に発見されないように
チョウさんは貌を優しい痴呆老人のものに戻し、
二段目、診療所の中への吉川くんとよっちゃんの更なる移動。
三段目、黒い背景のもとでの白いチョウさんという
痴呆老人による、灰色の瞳での外在的な視点の確保、
其処で俯瞰される人間へのコントロール、という
この三段目の一人称こそが、
まさにチョウさんの力の発言する瞬間の構図である。
その視線の先に抜かれた「四段目」の吉川の
うつろな目での行動は、
その実、三段目のチョウさんの視線の介在による
一人称と同一のものである。

111頁、一段目、奥行きの強く打ちだされた構図のもとに、
悦子の投射的能力と、吉川の銃が対峙する。
二段目、視線の二人称的な往還は、
三段目、効果線をともなった強い衝撃となって
悦子の元から吉川の元へ届く。
それは悦子からの二人称であると同時に、
吉川の体の一人称でもある。

112頁、一段目、父親に与えられた痛みに気付く
吉川くんの一人称と二人称、
それは悦子の側からの背後の吉川くんへの二人称でもある。
二段目、少し離れた奥行きからの移動は、
咄嗟に銃を拾い直した吉川からの投射で、
一瞬訪れた悦子と吉川くんとよっちゃんの
三人称的な共感覚を引き裂き、
よっちゃんへの銃の投射を経て再び
悦子とチョウさんの「視線の」対峙になる。

113頁、奥行きへの圧倒的な視線による投射能力を持った
悦子の力の行使の構図として吉川くんの父親を吹き飛ばし、
一時的に屈服させる。
二段目、暗がりの中のマンションの屋上への仰角で
チョウさんは悦子に所在を探知され、
三段目、悦子は移動を制限されるべき自身の体さえも、
単に視線の問題として仰角の先へのワープも自在にこなし、
その場から消える。

ここまでの流れで少し整理してみると、
悦子の能力(資質)とは、
まず第一に奥行きに対する投射能力によって
チョウさんに企画される様々な人物たちの移動
(及び吉川による銃の発砲)を遮り、
無化し、
体ごと吹き飛ばして相手に一人称的な痛み
(もしくは実在)を与え直すことであり、

第二に、チョウさんによって
外在的な視点から注がれる俯瞰の構図を、
その視点の所在を探知してすぐに三人称的な共感覚、
及び並列での会合の可能な位置にまで
自身の体をすっとばして移行させられることであり、

第三に、公団住宅の引きの構図、の中で暗に示される
吉川くんや吉川やよっちゃん、及びチョウさん本人とも
分け隔てなく二人称的な対峙によって
(時に対立的なこともあるが)、
きちんと一人一人向き合えることである。
この辺り、物語の本質的なテーマとも言える部分なので、
後の項で再度分析し直すべきだと著者は自覚している。

さて、ストーリー展開の方に話を戻すと、
114頁、一段目、ものものしい灰色の制服姿の
警官たちの俯瞰。
三人称的な白い光の中に、
子どもとしての悦子の所在を打ち明ける警官にとっての
二人称的な悦子の母親の顔が二段目。
三段目、現場に急行する黒い路面を切り裂いた部長の乗る
車のヘッドライトの投射状になった光。

115頁、一段目、二段目、三段目ともに、
合間に会話する警官との共感覚、
及び事態への俯瞰的な把握での困惑を含む、
岡村部長による苦悩、一人称。
残りの銃弾に関して思案するときは背景が黒くなり、
悦子に対して思索するときは背景が白くなる。

116頁、117頁、見開きで、
壁面の白さと夜の暗闇をすべて含むマンションの屋上における
悦子とチョウさんの対峙の引きのショット。

118頁、一段目で二人称的なチョウさんと悦子の対峙。
互いの距離感のうちに示される奥行きが、
二段目、落下していくチョウさんを追う悦子による
二人称的な視線を通して、
上下の奥行きに吸い込まれていくような加速度に転換される。

119頁、一段目も完全に悦子による二人称、
かと思いきや、小さく浮遊する悦子が映ってますね。
と考えると、少し不完全なショットと考えられなくもない。
一体この引きを誰が切り取ったのか。
ともかく、二段目では視覚的な投射がそのまま
力の顕現になる悦子による背後からの追跡を逃れようとする
チョウさんの一人称(周りで音を立てる風景の一人称とも取れる)。
三段目は悦子による追跡の企画される広大な空中の奥行き。

120頁、121頁、見開きで、
重力の反転した逆さまに吊り上げられたマンションの立像と
その内側を飛び回る悦子とチョウさんの姿の引きの図。
ここでも問題は、ではこの引きの図を一体誰が見ていたのか、
ということである。
少し論点を飛躍させて解説すると、
俯瞰、引き、奥行きへの移動、という
筆者の冒頭で提唱した三つのコード進行は、
少なくともこの物語のうちでは、
視点人物による人称的な視線に回収されない、外在的な視点
(ほとんどは超能力者としてのチョウさんによる超越的なもの)
から覗きこまれた二重性を伴っていたわけだが、
この120,121頁の見開きの引きには、
その画の中にチョウさん自身の姿も含まれており、
つまり、視点の外在性が失われているわけである。
ということは、むしろこの画は、
重力に逆らっても浮遊していられる悦子とチョウさんによる、
二人だけにしか空気の共有し得ない三人称の構図とも取れる。
この段になって、公団住宅全体を使って展開されていた
俯瞰、引き、奥行きという構図はそれぞれ、
悦子とチョウさんによる三人称、一人称、二人称に回収される。
そういう意味では、121,122の見開きの構図は、
引き、というより悦子とチョウさんの浮遊による
俯瞰の奪い合いを三人称化したものとも言えるかもしれない。

122頁、一段目、地面すれすれの奥行きへの移動は、
チョウさんによる二人称として提示される。
二段目、その奥行を追跡してくる悦子との力の顕現には、
ガンッ、とかバキッ、とか言う吹き出しの中の
風景の一人称としての痛みを伴う。
三段目、手前から奥への効果線を伴った移動に見えるものは、
全てチョウさんによる一人称、

次の123頁、一段目の「ひ」というたじろぎに集約されていく。
二段目、地面が剥がれ落ちてさらに攻撃される音、
三段目、一度浮き上がってさらにそこから落下し、
事態を俯瞰しようとするチョウさんの困り顔は、
ある別の事態への干渉を再び外在的な視点のもとに
及ぼそうとする悪巧みに気付いた顔に変わる。

124頁、一段目、倒れている吉川とよっちゃんのことを
案じる吉川くん、痛みに耐えるよっちゃんの
それぞれの主観を含んだ診療所内の三人称は、
チョウさんに俯瞰され、
不意に起き上がった吉川と吉川くんの二人称的な対峙に変わる。
バン、という擬音のもとに撃ち殺された吉川くんの痛みに、
俯瞰的な視点から気付いてしまった悦子は、
その中の吉川くんとよっちゃんに対する
三人称的な視点に引き戻され、
再びチョウさんの外在的な視点からの
鑑賞の対象として捉えられる。

125頁、一段目奥行きからの銃の投射。
二段目、悦子の顔の横からのクロースアップが、
その場に対する視覚的な飛躍を伴って
効果線を付されているのには注意が必要だろう。
その悦子に因る三人称的な共感覚の中で、
悦子が引き剥がした地面や木々の枝と同じ
一人称的な吹き出しの中の音を伴って吉川くんは倒れる。
そして、アル中の吉川の服はなぜか、
暗い力の顕現を指し示すようには黒く染められていないのである。
この、自分の息子を撃ち殺した男の
異様なまでの白さは何を意味するか。
チョウさんの背を丸めた姿の白い絵面とともに、
後になって細かく分析されるのに値するだろう。

126頁、一段目、悦子の一人称、
俯瞰していた光景から引き戻される。
二段目、機器としたチョウさんの一人称。
三段目、高所の鉄柵から悦子を俯瞰して小石を投射、

しかし127頁、巻き上げられた破片、は
チョウさんによる二人称の元、
対峙する悦子のもとには届かず、
逆に一人称としてのチョウさん自身のたじろぎに
悦子の視線から送り返される。
三段目、そんなチョウさんを、
外在的な視点から連れ戻し、
マンション住人の一人として認めるように、

128頁の一段目、二段目、三段目を使って、
チョウさんの二人称と対等な
(むしろ傍観者として外在的な各部屋の立ち位置を
キープしているだけ俯瞰的な)
大して浮遊した人間を見ても驚きもしない
無表情の大衆の顔が映し出される。

129頁、それはベランダの柵にも手の届かない
赤子の立場からも等しく、
事件の本質らしき存在として仰角から盗み見られるが、
二段目、唯一能力者としてのチョウさんを追いつめる
悦子との対峙の続行によって、
再び声の出ないところにまでチョウさんの
一人称的な主観は追いつめられる。
三段目、その表情は、自分の友人を殺した男への怒り、
痛みに対する報復という唯一の目的を持ったよっちゃんの、
極めて理知的な顔をしたクロースアップに置き換えられる。

130頁、血は黒く、痛みへの報復を志した
よっちゃんの服は相変わらず灰色だが、吉川は白い。
一段目でいい狩りに貫かれた表情、
二段目で銃撃によるよっちゃんの体の痛み、という、
一人称的な感覚が繰り返される。

131頁、チョウさんと悦子の場合に
二人称同士の奥行きへの対峙として示される力のせめぎ合いは、
しかしよっちゃんと吉川の場合には、
公団住宅から弾かれた物同士のある種の共感覚として、
横からの視点、三人称的な視点からの落とし前の付け方、
横から横への効果線として一段目と二段目に示される。
三段目で、その報復を受ける吉川のクロースアップ。

そして次の132頁、彼に対する完全な死、を
よっちゃんが暴力によって要求する段になって、
吉川は奥行きの向こう側の強調線の果てに、
ぐしゃっ、という一人称的な音ともに運びだされる。
二段目、その奥行と風景にこびりついた
一人称的な血のさらなる対比。

133頁、一段目、吉川の体がモノ、になってからも、
その風景の立てる一人称的な音への怒りは、
よっちゃんの中で収まらない。
二段目、それは吉川くんの死と並列され、
公団住宅のもたらした奥行きとして遠近法的に提示される。
三段目、その奥行の向こう側から、
機を見計らって手塚さんが現れる。

134頁、場所は再び診療所近くにより集まる
刑事たちの三人称的な光のもとに移り、
二段目、高山が事件の核心を概観すべきものとして
同僚に指輪を提示する。
三段目、その証拠物品の所在を探し当てた警官と同僚が
背景黒塗りの元二人称的に対峙し、

135頁、闇を切り裂く光が遠景に背後に切り抜かれる中で、
高山がとうとうチョウさんの住処を他の警官との
三人称のもとに引き出す。
二段目、吉川の死体の弄ばれた診療所の外への投射の俯瞰図は、
この段になるとチョウさんのものではなく、
一歩一歩事件へにじり寄っていく高山、
及び捜査本部の客観的視点といった性質を帯びる。
三段目、だがよっちゃんの二人称であるべき対峙した
警官らの間抜けな姿が映じられているのは、
マンションの平穏な日常の代わりに、
住民の暮らしに安全を取り戻そうとする
彼らを引きで撮っているからとも言えるかもしれない。

136頁、場の収集者たらん、として
外在的な視線の保有者となり立ちまわる警官の仕草は、
しかし次の137頁の三段に至るまで、
どんなに強い顰め面をして、擬音を跳ね回らせても、
全て横からの三人称的な描写に落ち着き、
せいぜいが白い催涙弾のような煙を、
二人称的に対峙するよっちゃんの雄叫びのもとに
投射するのみである。

138頁、一段目では、その、ある種茶番じみた対峙に、
高山らも付き合うべきか思案する画だが、
二段目、既に高山らはそちらとは逆側の
奥行きに答えらしきものがあるのを知っている。
三段目、そこへ兎にも角にも場、そのものを望み、
全てを取りまとめようとする決意に満ちた
岡村部長の車が俯瞰され到着し、
上部を若干、仰角気味に睨みつける。

139頁、一段目、暗闇の中に投射された破片の示す
奥行きのみが漂っている。
悦子はそれを、能力者同士対話しようと
三人称的な横からの構図のもとにチョウさんに押し返す。
三段目、チョウさんはあくまでも
二人称的な距離感を保とうとして舌を出すが、
すぐに悦子に屈服させられる。

140頁、互いの力の顕在化、
奥行き同士が一段目と二段目で交互に示され、
三段目、その力によって切り傷の付いた悦子の一人称。
しかし、その目は、妙に冷めており、
局所的な、公団住宅の内部の「力」を収束させ、
垂直方向に溜め込んで投射しようとするチョウさんを睨みつけ、

141頁、白と黒、という力を循環させる原型となる
配色を際だたせるように、
悦子の背後に広がる屋上の奥行きは、
二段目、三段目、引きの画の俯瞰、
及びその場のエネルギーの投射という
チョウさんによる外在的な視線の形式を超えて、
周囲のさらに広大な空間の円環の力の集約という地響きのような効果を、

142頁、引きのマンションの外側、
二段目、三人称的に逃げ惑う住人のもとにももたらす。

143頁、一段目、仰角、及び俯瞰で、
その力が悦子からチョウさんの元へ投射されることを予測させ、
二段目、その悦子の奥行に対峙し、
負けまいとするチョウさんは、
三段目、自身の体と目を灰色に染め、
間接的に住人の暮らしのレベル、
三人称的な位相に悦子を移させ、
その、住人たちの暮らしの安全という
同一の俯瞰へ視線を移し替えさせるしかない。

144頁、一段目、事件の核心へ迫ろうとする
高山がエレベーターの奥から移動してくる。
その、彼らに対峙した行き先には、
一緒に住んでいた家族の名前を二重線で消された
身寄りの無い独居老人としてのチョウさんの部屋の表札がある。
二段目、警官同士の三人称、
三段目、かき集められたチョウさんの孤独の凝縮した
ガラクタ類の一人称。

145頁、その独白に対する高山らの側の二人称に移り変わり、
二段目、若干クロースアップされた高山による
そこにあった「営み」に対する呟き。
三段目、その有り様は高山等による事件の道筋として、
また、半ば不在時に侵入してくる誰かの存在を予め知っていた
チョウさんの視点によって俯瞰される。

146頁、悦子を焦らせるものは、
各部屋に爆発を引き起こしかねない、「ガス」である。
それはある意味で、
一人称、二人称、三人称という人称的な描写の各部屋に制限された、
マンションの住人一人ひとりに対する、
打ち捨てられた独居老人(の外在的視点)からの
テロのようなものである。
二段目、マンションの住人の各部屋の閉鎖性を
ある意味で背後に味方につけたチョウさんに対する
悦子の側からの二人称。
三段目、一方的に力を行使しようとしていた
悦子へのチョウさんの側からの二人称、の対峙。

147頁、一段目、悦子の奥行きへの力を、
マンション住人への俯瞰のもとに制限しようとする、
チョウさんの顔のクロースアップ、
二段目、悦子は首を振りながら彼に
俯瞰的に操作された各部屋を効果線とともに、
「奥行き」として覗き込むが、
三段目、住人の生活への透視は、
悦子の目を灰色に変えさせ、

148頁、一段目、しかし、その、
人称的な描写に対する外在的な視点の確保、によって
力を行使しようとするチョウさんの磁場へは敢えて侵入せず、
悦子は閉鎖されたプライベートなマンションの
各個室の窓を一人称的な痛みを伴って破壊し、
並列の、横からの三人称的な空気を共有できるように結びつけ、
三段目、暗闇のもとで、奥行きへの投射的な力の行使によって
危機を回避しようとする。

149頁、一段目、窓ガラスの破壊、という
吹き出しに囲われた擬音を伴った風景の一人称は、
そこに滞在するチョウさんの顔すらも、
寂しげな単なる独居老人のものに引き戻すように見受けられる。
二段目、その状況に対するマンション下部の住人からの仰角。
三段目、通路への移動の視点から、
悦子は力を行使し、
顔を背けあい、その無関心によって
チョウさんに力を与えていたマンションの各部屋は、
引き続き風通しよく奥行きへ向かって接合されていく。

150頁、あらゆる部屋の窓が割られ、
それによって力を奪われたチョウさんの一人称。
二段目、視点を能力者同士の共感覚に引き戻し、
悦子とチョウさんの相互に二人称的な対峙。

151頁、場面が変わって、
吉川の元から離れてきたよっちゃんと、
高山らが二人称的に対峙。
二段目、一瞬第三次に見舞われた人間同士の
三人称的な共感覚になり、
三段目、しかしよっちゃんが遮られた
奥行きの通路に向かって無理やり突破。

152頁、巨躯のよっちゃんに対する仰角、
高山に対するやや斜めからの俯瞰、
よっちゃんの力の「外在性」との対峙は、
二段目、三段目、
ただ完全な奥行き同士の投射の暴力のやり取りではなく、
やや斜めからの、三人称的な共感覚を含んだ殴り合いとなる。

153頁、一段目、二段目、三段目、での
高山とよっちゃんの対峙は、
同様に仰角俯瞰、三人称、再び仰角俯瞰、という視線のやり取りを
一段目、二段目、三段目で繰り返す。

ここで、突発的に、154頁、155頁見開き。
夜の闇、とそれに抗するようにベランダから
室内の各部屋の光をもれさせる引きの画。
そこは、悦子によって窓を開放されなかった別の棟であり、
であればこそそれを仰角から眺める、
奥行きに対する力の行使としての爆発、を、
まだ閉鎖的な部屋に対する外在的視点を保持していた
チョウさんによるものとして、
その事件に立ち会わさせられてしまった
各部屋の住人は客観的な構図として捉えることになる。

156頁、その引きの構図の破壊されていくさまは、
白い光、黒い煙とともに、
マンションの鉄筋コンクリートの擬音による一人称となる。
二段目、奥行きに対する風圧の投射を経て、
三段目、よっちゃんと高山を巻き込んださらなる爆発、

157頁、爆音と爆風に対する住人らの三人称(悲鳴と叫び声)は、
事態を一切飲み込めない警官の顔を
唯一確かな足場である地面からの仰角で覗きこみ、
また二段目に広く取られた騒然とした
公団住宅全体の俯瞰を要請する。

158頁、背後、奥行きからの爆風が、悦子の元にも届く。
二段目、悦子に対峙する二人称のチョウさんの背景が、
白、灰色、黒にそれぞれ表情とともに変化させられた三つのコマ。

三段目、159頁の一段目、二段目は
互いの顔のクロースアップ(主観)に対する二人称の往還だが、
その背景も直前のチョウさんのコマと同様に
白、灰色、黒と変化していく。
三段目は、その背景灰色に変わった
悦子の表情に睨まれたチョウさんの側への悦子からの投射。

ここで背景に与えられた色の意味合いを比較してみると、
黒、とは公団住宅のうちで日陰者として排斥された
チョウさんによる外在的な視点、
その超常的な能力の行使される夜の闇であり、
逆に白、とは、
マンション住人同士の面と面付き合わせた共感覚、
一般常識のようなものが、
周縁に生きる社会不適合者とは無関係に形作られる
「平穏な」日常の背景であり、
その中間の灰色とは、
その白の要素と黒の要素が混ぜ合わされ、
事件として顕在化してしまう瞬間であろう。

この、ガス爆発の瞬間までは悦子は、
黒い領域が何故存在するのか、に
無関係に単純に力を行使していられたが、
それが人称的な描写の閉鎖された各マンションの
個室と無関係には存在しない力、
チョウさんという存在なのだと認識してしまった
この瞬間以降は、
ある種、調停者として事態、及び、
場の混沌を収めなければならない立場から、
チョウさんを追い詰めていくこととなる。

ガス爆発によるマンションの壁面の破壊とは、
つまり、外在的な視点と住人各自の内面に分離させられていた
個別のコマ割りの形式が、
マンションそのものの構造の破壊を経て、
むき出しになったコンクリートそのものの一人称、
そこで新たに紡ぎだされる共感覚へと合流させられる
瞬間なのである。

この、引きの構図で示されていたマンションの破壊による、
人称的描写と外在的視点の合流は、
以後のページでしばらく続く。

160,161頁、
奥行きに対する投射から逃れようとするチョウさんの浮遊は、
コンクリートの擬音を経て、
単なる白色の痴呆老人を演じていたチョウさんの顔を、
探し当てられた自身の力の露呈から逃れようのない
灰色の一人称に写し込まされる。
二段目、三段目でもその逃避の効果線と
衝撃の強調線の合一は続く。

162頁、その破壊し尽くされた
マンションの通路の奥行き、の中で立ち上がるのは、
二段目、周縁と見せかけの公共性の合一のもとで、
より深い知性に目覚めてしまったように見える、
「灰色の」よっちゃんの一人称である。
三段目、彼の顔は白いが服は灰色がかっており、
腹部には黒い血がこびりついている、彼の一人称。

163頁、一段目で仰角で望まれるマンションのさらなる破壊。
二段目、その事態の全体を見渡すべく
階を上って行こうとするよっちゃんの眼前に、
三段目、奥行き
(チョウさんが力の拠り所として彼自身属していた公共性の周縁)から、
不気味なものとして手塚さんが現れる。

154頁、一段目と二段目で二人称の往還、
彼女の属する周縁を、自身の中でどう位置づけていいか分からず、
奥行きと一人称の間で、
よっちゃんは「うう」と唸る。
三段目、そこへその外在的な視点の当事者だった
チョウさんが落下してくる。

165頁、一段目でチョウさんの落下に対する悦子の側からの俯瞰。
二段目、偶然にも、その瓦解したマンションの一つの階層で、
横から、チョウさんとよっちゃん、
手塚さんと吉川くんの遺体が三人称的に合流してしまう。
三段目、悦子の一人称、まだ無邪気に
三人称的な共感覚のもとでボール遊びしていた頃の
よっちゃんと吉川くんとの記憶が一瞬よぎっただろうか。

166,167頁。特殊なコマ構成の仕方。
右側に垂直方向に破壊されていくマンションの構造が描かれ、
左側一段目、そこに子供(吉川くん)を投げ入れることで
自身の供犠を完結させようとする手塚さんの冷酷な一人称、
二段目で自身の力の拠り所となっていた鉄筋が崩れ去っていく
落下物から見を伏せているチョウさんの引きの図、
三段目で落下する吉川くんを助けようとする
よっちゃんの三人称的なダイブが俯瞰のもとに示され、

168頁、俯瞰され、奥行きへの投射によって瓦解していく
マンションのただ中にあっても、
自身と吉川くんとの三人称的なブラザーフッド、
一人称的なその自体に対する雄叫び、
そしてその現場の感覚を実際には何も知らない誰か(読者)の
二人称に対して刻印しようとするような、
よっちゃんによる現場感覚と吉川くんとの合一が図られる。

169頁、外からやってきて自身の存在の「外在性」のみを
提示していた手塚さんもその落下の渦に飲み込まれ、
二段目でコンクリートによる一人称の一部となり、
頭部を破壊され、
三段目、引きの図によって提示される新たな公共性の中の
塵と消える。

170頁、チョウさんは、まだ自身の力の増幅器だった
マンションの通路の奥行きの中を逃げ惑っている。
二段目、そこを転げ落ちる際に打った頭に感じた痛みを、
単純な一人称として感じる。
三段目、その、端的な一人称として主催された
チョウさんの瞳が見るものは、
全てを破壊する悦子の歩み寄りである。

171頁、一段目、チョウさんによる悦子への二人称。
二段目、それはクロースアップされた悦子の顔として、
再び灰色の背景の元、見せかけの公共性を弄び、
悦子の元へ白と黒の字の色の強引な合一を図らせた
チョウさんに対する制裁の覚悟の込められた眼差しとして、
チョウさんの二人称に送り返される。
三段目、そのチョウさんの小さな体躯に悲鳴を上げさせるのは、
対峙した悦子による奥行きへの投射能力である。

172頁、一段目、
チョウさんの感じる圧力のクロースアップでの表現、
三段目、雄叫びを上げながらチョウさんに向かっていく
悦子の顔のクロースアップ、
二段目、だが、その上下に切り分けられた
悦子とチョウさんの顔の対峙は、
ひとまず横からの三人称的なものとして能力者同士の
共感覚のもとに提示されていることに注意すべきだろう。

173頁、一段目、それが、一方向的な暴力として、
チョウさんの側の一人称、
クロースアップとしか言いようのない
止められた呼吸まで伝わってきそうな詳細な顔に正対し、
二段目、その一人称は、ズン、という擬音とともに、
破壊されるマンションの奥行きとして、
完全に(住宅地から弾かれたチョウさんという
老人自身が望んだように)、
壁に円形状の凹みとして印付けられ、同一化する。

174頁、ただ、その悦子による破壊は、
外在的な視点の保持者としての
チョウさんを殺そうとすることと同時に、
マンションという構造そのものへの崩壊にも無意識で向けられており、
結果として、単なる痴呆老人としてのチョウさんを、
壁を突き破り、
三人称的な視点のもとに逆側の通路へ放り込むことにもなる。

二段目、それでも体そのものの内部に向けられた
痛みに対するチョウさんの一人称的な呻きは続くが、
三段目、チョウさんはその場からの逃避のきっかけとして、
まだ無事な通路の奥行きから駆け寄ってくる
消防隊の視線に助けを求めることにする。

175頁、一段目で駆け寄ってきた消防隊との間に
形成された三人称は、
二段目、瓦解した壁の奥から近づいてくる
悦子によって再び破られる。
三段目、無意識で、マンションの構造の破壊を望む悦子と、
住宅そのものの一般的な公共性の観点から
住人を救おうとする消防隊が対峙する。

176頁、悦子は奥行きへ力を発現し、
力そのものの周縁的な人間による怨恨という原因と
一般の公共性を切り結ぶ気のない消防隊の体は、
端的な一人称として破裂させられる
(そして、それに対面する悦子の叫び声は、
その、二重の視点、外在的な視点と内在的な人称描写を
別個に保とうとする人間に対する
子供ながらにして無意識な、忌避の念の表現でもあろう)。
その二重性と対面させられるように、
破裂した消防隊員に後続した同僚は逆さまに落下する仲間の顔と、
二人称的に対面する。
三段目、その隙を見て奥行きへの圧倒的な投射能力、
悦子の千里眼からチョウさんは逃げる。

177頁、一段目、二段目は、奥行き、衝撃、奥行きへの
移動の繰り返し。
三段目、警官と消防隊の横からの視線による三人称。

178頁、一段目、二つの方向への移動が、ある種対比的に、
チョウさんの正面と背後から描かれる。
このコマと、次の二段目、警官と消防隊の足元で
単なる身寄りの無い老人となった
チョウさんのクロースアップは非常に示唆的で、
マンションの住人を屋上からの投身自殺へと駆り立て、
自由に移動させ、
自身も浮遊し移動していたチョウさんはここへ来て完全に、
自身の向かう先を見失い、
強烈な効果線のもとで移動していく人々の足元で蹲るしかない
現状に気付いてしまった、と言えるだろう。
だがその硬直は、マンションの崩壊した今となっては、
彼自身の死(本来与えられるべきだった老衰の代わりの、
方向性を失った投射線の特異点に対する磁気的な集約)
によって償われる他ないのだ。
三段目、その音は、消防隊にあそこ、として指し示される
悦子のいる彼方に、

179頁、チョウさんが逃げ出し、
消防隊の歩み寄っていくさまの
悦子の眼差しから捉えられた奥行きに見える
白い光として提示されるが、
二段目、最早その力は、垂直方向への投射としてではなく、
ズンッ、という重力場じみた力の収束を
辺りに撒き散らすしかない。

180頁、一段目の俯瞰図、
二段目の引きは、悦子の奥行きへの投射能力の収束によって、
新たに与えられた場、を示している。

三段目、次の181頁、一段目と二段目は、
声を上げて逃げ惑う人々、という
その場で形成される唯一の三人称を表現している。
三段目、四段目で地面に突っ伏してしまう
チョウさんのクロースアップは、
その移動による投射線が、
全て自身の体で受け止めなければならない衝撃だということを知っている。

182頁、だが、最後になってようやく、
悦子のさらに外側から、
悦子の可愛らしい後ろ姿に対する二人称的な視線が注がれる。
それは悦子の母親によるものである。
二段目、悦子に対する二人称と悦子による一人称の相剋
(あなたはあなたの母親を見た、わたしはあなたの娘です)。

この事態は183頁、一段目、二段目、三段目全てをかけて、
横からのからだとからだ(視線と視線)の合流になり、
消防車の光に囲まれた中で三人称になる。
誰からも見放され、であるが故に
全ての外側で超越的視点を保持していたチョウさんは、
その、公団住宅の外と内を
(公共性という視点からではなく、ある種の普遍性の視点から)、
絶対的な審判のもとに合流させられる力を持った
悦子からようやく解放され、
全てが破壊しつくされた地面で蹲っている。

俯瞰が三つ続き、185頁、遠景の引きになる。
その、消防車の配線の張り巡らされた公団住宅の夜には、
子供(無垢で内在的な、人称的視点)が、
老人(円環の外側に追いやられた、外在的視点)を
追い詰めた結果としての、黒い煙が漂っている。

186頁、一段目、再び何事もなかったかのように
子供たちの遊んでいる公団住宅の広場の引き。
二段目、効果線を付されたドッヂボールをする
子供たちの球のやり取り(投射)が、
三人称的に横から描かれる。
三段目、それを無表情で見つめる岡村部長の一人称。

187頁、一段目、部長と警官による場と状況の俯瞰。
二段目、三人称的な二人の会話。
三段目、移動、だが、奥行きに対してのものではなく横へのもの。

188頁、一段目、二段目、
共に、建設会社によって保全、改修されている
壊れ果てたマンションの壁面の引き。

189頁、一段目、岡村部長を三人称的に記者たちが取り囲み、
二段目、事件の俯瞰的説明を求めようとするが、
三段目、車の扉を閉め、移動が、
やはり奥行きへの核心的な論及に至らないことを承知したように、
その場で円を描くように車は旋回する。

190頁、何食わぬ顔で高山登場。
一段目、だが部長とは異なり、
奥行きからの移動の構図が強調される。
二段目、三段目、記者、同僚の刑事らとの
三人称的な共感覚に一時的に飲み込まれる。

191頁、さらに奥行きからの移動、
二段目、三人称だが、
チョウさんに言及する高山の背景は灰色になる。
三段目、記者らと正対する岡村部長の引きの構図
(二人称的な誰か、ではなく、公共に事情を説明しなければならない)。

192頁、一段目、引きの構図、
二段目、二人称的、三段目、徐々に俯瞰へ。

193頁、一段目やや仰角の三人称的な描写
(記者による部長への二人称)
二段目、三人称的な対話の中に、効果線が付され
(ガス爆発まで吉川のせいにされ)、無理やり、
事件の真相の奥行きへの道筋が示される
(しかし、それは構図と同様に三人称的な共感覚の元で
お茶を濁しているに過ぎない)。
三段目、その擬態された「奥行き」への記者の仰角。

194頁、一段目、二段目、チョウさんの収集物に対する俯瞰。
高山は、事件の核心に対する決定的な手掛かりを、
一人称的に帽子、の中に見る。
だがその彼の顔の背景は白いままである。
つまり、チョウさんの収集癖、
外の人間から見た痴呆老人としての彼の振る舞い、には、
何ら罪はなく、
物語の序盤から描写されるチョウさん自身の
白い体躯と同様に無害な(脈絡のない)ものとして、
描写される必要があると
物語そのものの著者である大友も感じていたのではないか。
少なくとも何か示唆的な色の対比ではある。

直後、195頁、
その帽子の所在を三人称的に同僚に尋ねる
高山の顔の背景は灰色になるが、
事態の闇の部分、
収集癖のために住人を投身自殺させた
チョウさんの罪に物語が行き着くのは、
必ずマンションの構造の視線の二重性が
物語中の視点人物自身によって想起され、
外在的な視点の存在、
公団住宅の周縁に住む社会不適合者の群れの存在に
気付かさせられた時のみなのである。

二段目、三段目、その、既に悦子によって視点の接合され、
破壊し尽くされた瓦礫のもとで
帽子を探し当てるチョウさんの引きの図。
そして、彼に注がれる警官からの視線による
チョウさんへの二人称。

196頁、一段目、高山と同僚の二人称の往還は、
二段目、山川部長のペンのキャップを提示され、
灰色の瞳の強調された高山のクロースアップになる。
三段目、横からの三人称的な会話のうちに、
俯瞰されたチョウさんの収集物から、
強調線で見定めるべき奥行きへの手掛かりを
高山は必死で探そうとする。

197頁、一段目、その強調線は、
急に開いた扉の方を向く
高山と同僚の驚いた顔の一人称と接合されるが、
二段目、記者会見に参加していただけの
また別の同僚が入室してきて扉を閉めると、
ため息とともに再び三人称的なものに変わる。
三段目、三人で記者会見の結果も含めた俯瞰図を作ろうとするが、
見せかけの公共性が混じるとうまくいかない。

198頁、場面が変わって、
一段目、奥行きがかなり強めに示され、
廊下に腕を組んだ刑事たちが佇んでいる。
二段目、そこへ高山らが移動してきて刑事らと
三人称的に言葉をかわす。
三段目、合流した刑事らの俯瞰は、唯一、
チョウさんのこもる取調室の扉の中のやり取りを指し示している。

199頁、一段目、投射が渦を巻いたような効果線を伴い、
三人称的な刑事らの共感覚を二人称としてまとめ上げ、
観察の対象として扉に付いたドアノブが回転させられるが、
二段目、そこに部長も加えた刑事らの集りによる俯瞰図は、
三段目、マンションの構造、
そしてその破壊の意味を理解しない、
つまり、住人らの奥行きへの移動が織り成したドラマを
何も知らない部長による、
端的な苦悩の一人称しか生み出さない。

200頁、その部長の苦悩を引き継ぎ、
高山が視点を引き継ぐように
三人称的な互いのやり取りの中で部長のくわえタバコに火をつける。
二段目、そのまま三人称的にすれ違い、
三段目、飯を食いに行く部長らを見送る
高山による彼らの後ろ姿への二人称。

201頁、一段目、二段目、
その二人称が維持されたまま、
互いの進む奥行きが視線の先に入れ違いに提示される。
三段目、その高山に注がれた部長らからの二人称は、
いつの間にか外在的な視点からの眼差しに差し替えられ、
扉を開く前から俯瞰されている。

202頁、一段目、そこに対峙するのは、
死んだ山川部長の立ちすくむ屋上、
その画を無理やり見させられている高山の目からの二人称、
そして、二段目、改めて力の源としての
マンションの構造に直面させられた高山の口を開けた一人称、

203頁、一段目、再び落下していく山川部長への
高山の二人称、
その下方への高山の視線そのものを外側から
俯瞰しているのが二段目、
吉川と高山の「三人称的な」対話を横から捉えた三段目も、
さらにその外側からの二人称であるかのように、
突如として高山の頭の内部に現れた光景の囲われる暗闇は、
再び顕在化したチョウさん自身の超越的な能力、
視点そのものの外在性を否応なく読者に指し示す。

204頁、一段目、叫び声と奥行きからの投射とともに、
高山は一人称的な自我を取り戻し、呆気にとられる。
二段目、通路の奥行きを移動してくる太った同僚は、
しかし、高山の対面した取調室の中の
「奥行き」に全く気付かず、
三段目、体を曲げて覗きこむ、
チョウさんの側からの二人称に、
何の拘束力もないことを進んで証明する。

205頁、一段目、高山と同僚による二人称、
二段目、全く、自らによる視点など主催できそうにない
呆けた、赤子じみた顔のチョウさん。
三段目、汗をかく高山に猶も太った同僚が声をかけ、
他愛のない老人を扱っている、と同一の三人称を形成しようとする。

206頁、室内に入っていく同僚が
効果線で奥行きに立ち入るように強調され、
二段目、グリコを頬張るチョウさんへ注がれる高山からの二人称。
三段目、高山の「クロースアップ」。
ここにおいて、ネガとポジが反転したような演出を施され、
高山はチョウさんの能力に気付いてしまう。
髪と目は白く、皮膚は灰色になる。
背景は霊能力者との会話を思い起こして真っ黒だ。
視点の外在性を伴うときは背景が
マンションに訪れた夜の闇を示すように黒くなり、
他方で、その夜の黒さのもとでの力の発揮を可能にさせるのが、
白々しい、マンションの通路、公団住宅の引きの視点に与えられた
白、だという色の対比が、
読者に読解を要請するように事件の真相を追う高山の顔の、
クロースアップされた色の反転として提示されている。

207頁、一段目、
まだ不確かなチョウさんという人物の実体に対して、
視線を馳せるのと同じように捉えられた
高山の仰角の図。
二段目、その視線の伸ばされた通路は、
再び、整然として果てしのない奥行きを示すように
高山のもたれかかる窓際から、
さらに奥の窓外の風景にまで道筋を示し続けている。

208頁、一段目、取り調べが終えられ、
チョウさんの解放される警視庁前の引きの図。
二段目、それを俯瞰する岡村部長と高山。
三段目、舌を見下ろす高山の二人称に変わる。

209頁、一段目、悦子の話をしながら再び俯瞰図。
二段目、窓外を見下ろしながらの三人称的な会話の中に、
岡村部長と高山による、やや二人称的な対峙が混じる。
三段目、高山はチョウさんの身辺警護を部長に要望し、
二人称的な対峙を経て、
それを許可され、
頭を下げる高山の体に事件の真相への追跡を含むような
強調線が付される。

210頁、場面が変わって、
一段目、チョウさんの戻った平穏なマンションの引きの画。
二段目、高山の仰角に布団を干す住人の姿があり、
視線は下りてきて、三人称的な横からの画に、
広場で遊ぶ子どもと噂話をする母親の姿がある。

211頁、一段目、二人称的な構図を、
高山は誰か(公共性)に対する引きの画として
老人を見守る刑事の役割を演じ、
二段目、チョウさんに注がれる視線の
高山を主体とした二人称的な切り取り。
三段目、不意に部長の言いつけで見回りに現れた
高山の同僚が、「春だなあ」と呟く俯瞰の図。

212頁、一段目の俯瞰図、
二段目の刑事同士の会話の
チョウさん側から写し取られた二人称的な構図、
三段目の引きの図は、それぞれ、
漠然とした思い込みが思い過ごしに過ぎなかったのかという、
高山の思考の「外部」を、
ゆるやかに流れる春風とともに、
背後の植樹された樹の枝のうちに静かに指し示している。
だが、その視点の隠された外在性は、

213頁、一段目、
歩み寄ってくる主体の全体像を敢えて仰角では写し取らないまま、
二段目、極端な俯瞰からのみ確実な侵入を感知し、
三段目、仮にすれ違った何も知らない高山の同僚が不意に
振り返ったとしたら見ているであろう少女の後ろ姿を、
階段を上った先の、
陽だまりで溢れる公団住宅の引きの図の中に溶けこませる。

214、215頁、見開きで、
完全なるチョウさんのクロースアップ。
ここへ来て、黒(外在的な視点の夜の闇による顕在化)と、
白(公団住宅の外壁や昼の広場に満ち溢れる光の中での人称的描写)に
切り分けられていた六つのコマの段落的なコード進行は、
その両義的な視点を二重に演じ、
ぐるぐると視点人物の移り変わる度に倍加していく
力の内側をすべて表情のうちに読み込み、
そして、それを瓦解させるために移り住んできた
少女の目前に迫ってきたことを察知した、
絶望的な表情の中の皺の陰影を詳細に描写させる。
この細部、こそが、物語全体によって語られるべきだった
公団住宅に住まう人、一人一人の生活の営みであり、
その周縁にぽつり、と住んでいた
チョウさんという老人をも巻き込んで一枚絵の中に露呈される、
彼自身の表情、即ち物語そのものの結末の象徴なのである。

216頁、一段目、二段目、三段目、
チョウさんと悦子との完全に正面切った二人称的な対峙。

217頁、その対峙の一方の視点人物たる悦子は、
視点を徐々に上方にひねり上げ、
一段目と二段目による俯瞰、マンションそのものの構造を利用し、
チョウさんが視点の外在性を力に変えたのと同じ仕方で、

218頁、一段目と二段目と三段目、
力を奥行きに対する力の投射へ集約させていく。

219頁、能力者同士の二人称的な対峙は、
数日前まで構造そのものを弄んでいた老人への
報復的な周回に貫かれるべき壁、として
小さな年老いた体を見定められ、
一段目、痛みを覚えるチョウさんの顔のクロースアップ。
そして、横からのチョウさんに対する高山による
三人称的な視線の横槍を挟み、
三段目、悦子に対する二人称的な対峙のもとで
チョウさんは弱々しく杖を落とす。

220頁、一段目、再び破壊されるべく動き出した
マンションの窓ガラスの割れるのを高山が仰角で見る。
二段目、杖の折られる一人称と、その痛みに気付き得ず、
水平方向への投射としか認識できない高山による一人称。
三段目、しかし、その力が、
吹き出しの中の他愛のない主婦同士の会話の中にこそ存することを、
高山の一人称は無意識で知っている。

221頁、一段目、何も知らぬ赤子の泣き声まで、
マンションの俯瞰図は到達していることを示す俯瞰の図。
二段目、悦子は自身の更に背後の視点から、
そのマンションの付近の住人の行き交う様を
「引き」で見ている。
三段目、その引きの構図に、
周囲から隔絶された特定の「周縁」の人間の力が
及ぶことの無いよう、
悦子はさらに水平方向の移動、
奥行きを押し開くようにその場、に力を集約していく。

222頁、一段目、縮こまって耐え忍ぼうとする、
チョウさんの一人称。
遊具のある遊び場の引きの背景は、
急に夜が訪れたように真っ暗になってしまう。
三段目、風景の破壊される音の一人称。

223頁、一段目、ただその事態を、
母親に報告する子供の声は、
三人称的な、呑気なものとしてしか届かない。
二段目、外在的な視点の引きの図のもとに敢えて身を晒し、
三段目、何か得体のしれない力に積極的に俯瞰されてみようと
立ち上がる高山の姿。

224頁、一段目、彼の頬を切り裂いた風は、
二段目、辺り全体の見下された空気すべてを巻き込み、
三段目向かわさせられるべき力の投射先へものすごい速度で、
効果線を付され奥行きを巻き込んでいく。

225頁、一段目、それが一体何を意味しているのか分からない、
ということへの高山による仰角。
二段目、投射される力の到達点、
チョウさんの体の感じる痛みの一人称。
三段目、そこへ視線を向けている悦子の能面な一人称。

226頁、一段目、ここへ来て完全に、
垂直方向から、チョウさんは俯瞰される。
その俯瞰を利用し、力を発揮してきたチョウさんの体は、
逆に、悦子によって見下されることで、
今までの所業の全てを送り返されることとなる。
二段目、その事実を証拠立てるように、
対峙する悦子の背後には、
チョウさんが自由気ままに社会の周縁にいる者の見えざる悩み、
意識せざる悩みを顕在化させ、
投身自殺に追い込んでいった高層マンションの
壮大な引きの図が構築されている。

227頁、一段目、その高みから、
ブランコのある遊び場で何かが起こっているのに、
子供たちは気付く(大人たちは気付かない)。
二段目、三人称の中でその相違がはっきりと分かる
視線のすれ違い。
三段目、今にも地面へ落下してしまいそうなベランダからの俯瞰。

228頁、その高みからの視線は、
一段目、まさに放射状に区画化された広場の
チョウさんの眼前に広げられた地面に滑り込み、
二段目、植樹された木々の黒い影の傍に、
若干仰角気味に捉えられた
悦子の足元付近から痛みを伴って彼を追い詰めていく。

三段目、次の229頁の一段目、三段目、と、
紛れも無いチョウさんの一人称は続く。
ただここで注意しなければならないのは、
二段目、彼を追い詰めていく俯瞰の中に、
悦子のみならず、
数人の他の子供の視線が含まれていることだろう。
そして、彼の着る服や表情は、
クロースアップされた時に描かれていたように
白と黒の相剋を色濃く写しだしてはおらず、
まるで浄化されたように白い。

230頁、一段目、どさっ、という、風景の立てる音として
チョウさんの遺体の発する重力が捉えられたことを証明する、
真正面からの一人称。
二段目、三段目、全く同じ構図の引きの画が二枚続く、
それが二人称的に子供たちによって見つめられていることの意味は、
もう明白だろう。
チョウさんは悦子と対峙する超能力者としての生涯を終え、
公共的な、引きの画と同化したのだ。
つまり、
外在的な視点を有効化するために保持していた立体的な構造、
マンション住人の鬱屈とした生活の在り方を、
何も知らない子供の視点から無化したのである。
これは決してグッドエンドではないだろう。

231頁、事態を新たに覗きこむのは、
最早悦子と他の子供ではなく、
俯瞰図の中にチョウさんの様子を確かめに歩み寄ってきた高山である。
二段目、俯瞰図のもとで高山はさらに近づいてチョウさんを覗き込む。
三段目、そして高山はチョウさんの死を確かめた時、
暗く、くぐもった背景の元、
初めてチョウさんとの三人称的な認識を獲得する。

232頁、そこに、ある意味では
顔見知りであったはずの悦子の主体的に物語に関わる姿はもうない。
公団住宅で遊ぶ子供たちの姿に紛れ、
悦子はもう全く別の三人称のもとに統合されてしまっている。
二段目、その様子は、
また新たな日陰者と一般的なマンション住人の相剋を刻み直すであろう
木々とコンクリートの俯瞰図のもとに、
かわいらしい体躯を走らせているのみである。
三段目、勿論その語られなかった事件の結末は、
群衆の一人となった悦子と一部の真実を知った
高山の間では微妙に異なる俯瞰図を描いている。

ラスト、その二つの俯瞰の構図は、
その高山と悦子の差異をより強調するように、
子供の遊ぶ姿と、母親たちの付近の住人について噂しあう
吹き出しの入れ違う俯瞰図としてまとめられている。
これは、冒頭から言及している外在的な視点、の再構成、
チョウさんによる統制を逃れた、
しかし、高山のものでもない、
勿論何も知らぬ子どもとして消えていった悦子のものでもない、
ある意味では「誰も知らない」公団住宅の実体を写しとった
特定の客観的な鑑賞者のいない、
引きの構図であるといえるだろう。
ただ、そこにあるブランコの柱は折れている。

と、ここまで見てきたように、
この「童夢」という物語は、筆者自身が冒頭で示した
六つのコマの段組みごとのコード的な展開を、
それぞれの登場人物に主催しやすいように割り当て、
マンションという公団住宅の構造の中で具現化した漫画だ、
というのが、しつこいようであるが筆者の主張だ。

自分の主張が成立しやすいように
全てのコマを分析しているわけだから、
そのように読めるのは当たり前といえば当たり前の話だが、
全体として引き気味の構図から、
カメラワークに添って
コマの描き方を変じさせていくという大友の手法は、
たとえ筆者以外の誰かが分析したとしても、
また、何の先入観もなく、平易に読者が読まれたとしても、
そこに何らかのパターン化された意図があると
類推するのには十分なほどの
切り立った「展開」の構図が刻まれていると思う。

コード進行の概念図

そこで、冒頭示し、
長々と一頁ごとに分析してきたように、
六つのコード、三つの人称的な視点と、
それと対になる三つの外在的視点を導入し、
それぞれのコマごとの視点人物に当てはめてきたわけであるが、
こうしてみると、
一頁目からラストの頁に至るまで、
語り全体の視点を引き継いているのは、
実はチョウさんだということが分かる。
それをコード進行に即して語ると、
たとえば子供たちの登校シーンや主婦同士の会話、
警官同士の行き詰ったやり取りなど、
三人称の共感覚として示される構図は、
事件にとって何の本質的な展開も含まない。
それらの光景を、チョウさんは単なる痴呆老人として
目を瞑って横から見守っているだけである。

他方、二人称において示されるのは、
それぞれの頁によっていちいち視点人物は異なるにせよ、
各人物が実際に足を運び、
自分以外の別の人物によって相互に共有されることのない、
独自の視線によって切り取られる場、
一つの光景のようなものであろう。
公団住宅においては、その二人称は、
昼の間広場で交錯することなどはあっても、
夜、頭上から注ぐ外灯の明かりを頼りに
各自が歩きまわる段になっては、
すし詰めにされたようなマンションの各部屋、
そこのプライベートな空間に毎日再起して示される
個室の画に切り離されたまま閉じこもるのみである。
そこに、チョウさんの生き延びる呼吸がある。

高山らがチョウさんの部屋を訪れた時の
表札の二重線で消された家族らの名前が示すように、
彼は親族からも見捨てられ、
おそらくは市の民生委員か何かに面倒を見てもらっていた
認知症の老人だったのだろう。
その老人が、いかにして
超常的な幾つかの能力を身に付けたかという点については、
それこそ物語の「外部」であり、
ここで語るべき何の手掛かりもないが、
一つだけ言えるのは、
彼が、「誰にも共有されない二人称」を、
極めて強烈に保持していたが故に、
力を発揮することが出来た、ということである。
つまり、俯瞰と仰角、引き、奥行きに対する移動、という
筆者が外在的な視点として示しておいた、
三つのコードへの動線として、
この、誰からも共有されない二人称、
つまりは孤独、というものが利用されているわけだ。
それは、物語の中ではチョウさんの収集癖として描かれる。
彼の集めたガラクタであふれる部屋に侵入した時の
高山らによる視線が、
「あなたは」という呼びかけに呼応する、
二人称的な描写の最たるものといえるだろう。
ここにおいて、事件の真相を追ってきた刑事らは、
少なくともマンションの住人の一人一人に、
各自の部屋で抱えられた孤独があると気付いてしまったわけである。

高山は、ある意味では、常にチョウさんの視点に寄り添っている。
それは、彼の上司であった山川部長の死、を含んだ
事件への手掛かりを常に追う立場からであるが、
では、山川部長がチョウさんによって
投身自殺に追い込まれた原因は何なのかというと、
少し論旨を飛躍させて解釈すれば、物語の途中で、
彼はチョウさんによる外在的視点を顕在化させる構造、
に気付くことなく、
ただ事件を解決する一つの道筋として、
遺失物の側からの全体の俯瞰を試みたからである。
それでは、チョウさんの側の、
チョウさんと同様に孤独を抱え、
社会の周縁に蹲っている人間による各自の二人称、に
警察が気付くことはない。
ただ、超常的な能力を持った異常者としての老人をいかに捕まえるか、
という警察の側の視点によって物語は収束させられてしまっただろう。

だから、山川部長は、
警視庁の管理職という人間のうちにも、
娘のことであったり、役職に対する重圧であったり、
という覗き込まれるべき二人称を保持していることを示す形で、
犠牲になったマンションの住人と同様に
投身自殺させられなければならなかったのである。

ここに、二つの俯瞰が交錯する。
警察によって、一般的な視点から追跡されるべき事件全体の構図
(または、それについて思案している時の刑事らの体の俯瞰図)、と、
マンション住人各自の保持する二人称を住人同士、
もしくは警察が考慮に入れないかぎりにおいて力を発揮できる、
チョウさんによる外在的視点としてのマンション全体の俯瞰図である。
その俯瞰は、二人称的に、最も外側に居る、
三人称的な視線の共有を起こし得ない、
独居老人としてのチョウさんに同じような孤独を抱えていると
見初められるとき、
マンションそのものの屹立する姿への仰角を利用した、
地面への俯瞰、即ち、人物独自で判断し、
遂行させられたかに見える投身自殺として成立させられてしまう。
「まっかなトマトになっちゃいな」と言って、
ベランダから落下させられる赤子にしても、
その時間、一人で放ったらかしで、
高所で遊ばさせられていたのであり、
それは、物語の中で描かれなかったその赤子の母親の視点、
つまりは誰からも認められることのない彼女の二人称
(パートに行く前に取り急ぎ温める子供用のミルク、
一行に上向かない家計簿の中の数字……)
などを類推させるのには十分であろう。

ここに、山川部長に花を手向ける高山と平行して、
悦子が引っ越してくるのは非常に示唆的である。
彼女は、マンションの各住人が通勤、
通学時に利用する階段や通路、
公団住宅内の道筋のそれぞれの使い古された奥行きの、
「外部」から来た。
ただその外部からの移動は、
山川部長のように一時的に事件を解決するために
滞在を要求されているのではなく、
マンション内の住人のそれぞれとコミュニケーションし、
そこに住まうためである。
その後、吉川くんやよっちゃんとも
何の別け隔てなく悦子は遊び、
要は、チョウさんの力の源泉として隠されていた
住人一人一人の二人称を、
相互に面付き合わせ、解体していく。
だが、それを阻止しようとして仕向けられるのは、
佐々木さん家の勉くん、という、少女にとって、
(もっと言えば、彼自身の他の誰からも理解し得ないような孤独に)
受験の失敗とともに引きこもった男による自死である。
ただ、悦子はその近寄ってくる男への二人称ですらも、
外からやってきた、そして、
その移動という自身の人物として登場する経緯に
力の源を有するような、
圧倒的な奥行きへの投射能力で回避することができる。
つまり、白々しいマンションの壁面、
公団住宅の引きの構図、という、
隠された二人称を持つ、
チョウさんがうつらうつらしながら滞在している場に対しては、
そこに住まう(特に周縁の)人々と隔て無く交流することで対抗し、
勉くんや山川部長が死ぬ間際に示したような、
自分自身の抱えている悩みに(チョウさんによって)
直面させられた際に色を失って示さざるを得ない
彼ら自身の一人称(クロースアップ)に対しては、
外部からやってきた自身に存する投射能力としての
奥行き(への力)によって、
ぐるぐると、
悩みを抱えながら動き回っていたであろう通路からの解放を示すように、
非情な暴力で抵抗するわけだ。

これを是とするか人するかは重要ではない。
重要なのは、ある種、
物語の始まりから終わりまで維持されている、
外在的な視点(つまりは語り手的な役割)として
チョウさんによる俯瞰、引き、奥行きという
私が示した三つのコード進行に対し、
作中人物でありながら、
その語りの手法そのものを解体するような人物(主人公)として、
引きに対しては二人称を、
一人称に対しては奥行きを対峙させる形で、
悦子という少女が措定されていることだ。

ここまで来ると物語全体に施された「構図」は、もう明白だろう。
改めて、構図そのものを図式的に整理すると、
真ん中に三人称の頂点を取り、
一人称と二人称の頂点を結んだ人称的描写の二等辺三角形があり、
その各頂点に対峙する形で、
一人称に対しては奥行きが、
二人称に対しては引きの構図が、
そして、三人称の頂点に対しては俯瞰・仰角のコードが、
人称的な三角形とは上下反転し、
外在的な視点として示される。

この、二つの三角形が重なりあった図式が、
一ページ一ページのコマ展開を分析する前に
筆者自身が示したものを追認する形で、
悦子の振る舞いによって示される。
外在的な視点による三つのコードと、
人称的な三つのコードは、
相互に切り離されていることによって、
チョウさんに力を与えるが、
悦子はそれを同一化させようとするのである。
と言っても、六つのコードのそれぞれが、
対立する頂点を包含し、
一つの新たな三角形として作り直されるわけではない。

悦子は、俯瞰、引き、(後ろ姿の像だけが残される)奥行き、に
構図が固定化されることによって失われてしまう細部、
その場に身を置いた者のみが映じられる人称的な視点を、
引きに対しては二人称、
一人称に対しては奥行きを定置することで、
蘇らせようとしているといえる。
ただここで、一人称と奥行きの関係が、
他の二つ、二人称と引き、
三人称と俯瞰の関係からすると、
反転していることに注意しなければならない。
チョウさんは、人称的視点と切り離された外在的な視点を利用し、
その切断から力を得、
人々からの無関心や忌避の念を浴びて生き続ける周縁の人々
(勉くんや吉川)を操り、
悦子に刺客として差し向けるが、
その、彼ら自身の二人称、に対面させられた悦子は、
彼女自身の投射能力によって、
クロースアップされる彼ら自身にしか分からない
彼らの一人称から(つまりは公団住宅という場、
そのものに存在する彼ら自身の苦しみから)、
解放してやろうとするのである。
だとすれば、吉川の引きつった顔、操られた勉くんの能面、
自分自身の無意識の声を聞かされる山川部長の顔、
そういった、すべての事件の経過を進行させていた
力の所在に気付いてしまった高山の顔、などはすべて、
人称的な描写、コマ構成の側にあるが、
実はマンション、及び公団住宅の含む白々しい外在的な視点、
そこを構成する俯瞰、引き、奥行きというコード進行を全て含んだ、
マンションの住人一人一人が保持しているはずの「私」に、
無意識で自覚的になった際に生じる一人称なのである。

であればこそ、悦子はその「私」に苦しみを味わわせながら、
だとしても、圧倒的な外部への力、
彼女自身の視線の先に生じさせる投射能力、によって、
ぐるぐると力の渦巻く、その力そのものに拘束される場からの解放を、
「奥行き」というさらに外在的な視点から与えるのである。

必然的に、その一人称の行き着く先は、
すべての「あなた」方から無視され、
公団住宅の外側に配置されていた「私」、
つまりは外在的視点の保持者としてのチョウさんということになる。
今や、語り手は、一人の追跡されるべき視点人物の側に落とされた。
彼が悦子に追い詰められ、
彼女の投射能力によって
マンションの壁にのめり込まされるシーンなどは、
まさにこの構図の示される象徴的な場面だろう。
物語の構造の内部から弾かれているがゆえに、
すべてを知り、全てを思うままに操ることの出来た語り手は、
ここで徹底的に悦子によって傷めつけられることとなる。
そういった意味で、少し形式的な言い方をすれば、
悦子とは物語にとっての「他者」であろう。

彼女には公団住宅という場の生じさせる力が通用しない。
さらに言えば、物語全体を俯瞰する語り手としての
チョウさんを追い詰める過程で、
公団住宅そのものを破壊してしまう。
仰角、俯瞰を、マンション住人、及び刑事たちや消防隊員にまで
可能にさせていた構造体そのものを、
吉川や吉川くんの死に対面させられる中で瓦解させていくのである。
そこに生じるのは、何かわからないが、
とにかく大惨事が起こってしまったようだという、
端的で無残な住民による三人称の共感覚のみだろう。

ただ、ここでもう一つ指摘しておくべきことがある。
それは、悦子が自身に襲ってくる人間と
それを阻止した際に相手に生じさせる痛みとしてのみではなく、
マンションに住む人間一人一人に
チョウさんによって与えられた痛みを、
あたかも自身の体の一部が感じさせられたように共感し、
強い怒りを覚え、
極度な悲しみに打ちひしがれたような表情とともに、
一人称として表現するという点である。
奥行き、に対する投射、
悲劇を生み出す場、そのものの解体を実現する、
彼女の力の(全ての事象の実行犯だった老人への)発露は、
その、マンション住人一人一人が、
老人に利用されざるをえないものとして保持していた
人称的な視点に対する共感を伴って実行される。
悦子の顔は、
チョウさんの側から見た二人称としても取れるし、
彼女自身が、無意識で、
あらゆる人物の外に立ち力を発揮していたチョウさんの
さらに外側から全てを覗き込んでしまった結果としての
クロースアップでもある。
その重すぎる使命を、彼女の方から引き下ろし、
一人の少女として休ませてあげられるのが、
唯一、家族として共に過ごしてあげられる場、を
与え直すことのできる母親だというのは、
物語の展開からすると当然の帰結だろう。

結果として、チョウさんは悦子から逃れることが出来た。
語り手を失った事件全体の俯瞰を引き継ぐのは、高山である。
そして、何よりも自明なのは、
チョウさんが生きていることの可能なのは、
彼の力の源となっていたマンションの構造の破壊という
事実によってであるということだ。
高山はチョウさんの身辺警護を部長に要請して許可される。
これはチョウさんが、高山、という新たな
彼自身の生涯の語り手を彼の視点の外側に得たことを意味する。
その限りにおいて、彼は陽だまりの中で
うつらうつらする痴呆老人を演じるほかない。
ただ、彼にとっては悲劇的なことに、
移転先の養老院が決まってしまう。
ここにおいて、彼の死は決定的となるだろう。

そこへ、どこからともなく悦子が現れる。
彼の生命は、もう二度と、
外在的な視点からの俯瞰、引き、奥行きを
与えられることのないよう、
単なる認知症老人としての「私」、
痴呆老人として二人称的に観察される対象として、
その、一度瓦解した公団住宅のもとに
縛り付けられていなければならない。
悦子は再び平穏を取り戻した公団住宅の
俯瞰、及び、引きの構図を、その構図の
捉えられるさらに外側からの水平方向の力として集約し、
彼の「移動」を阻止するための投射的な奥行き、
再び自身の操作していた全ての人間の
二人称的に見た景色そのものの帰結と対峙させるように、
彼の眼前に再現しようとする。

そこで立ち現れるのが、
チョウさん自身の見開き2ページを使った完全なクロースアップ、
絶望の刻印された一人称であろう。
彼の知っていた風景は再び破壊される。
ただ、今度は、唯一、その、全てについて知っていた彼の「私」、
即ちパーソナリティが、ただひたすら
悦子という子供によって見つめられることによってである。
彼を死亡させるために集約されるエネルギーは、
ゴンッ、バキッ、と付近の風景に一人称的な音を立てさせ、
そこに対する二人称的な鑑賞を付近で遊んでいる子供たちに促し
(だがしかし、傍にいるはずの大人たちは、
高山を除き誰ひとりとして異変に気づかない……)、
そこに、鑑賞すべき細部がある、ことのみを示し、
チョウさんに向かっていく。
どこからとなく、悦子の周りに子供たちが現れる。
チョウさんはただ見つめられる。
少なくとも、痴呆老人として無視されては居ない。
最後に提示された構図こそが、
チョウさん自身の老衰するための条件だったろう。
不思議な事に高山は、
悦子、及びチョウさんの周りの子供達には無頓着である。
ただ彼が死んだことを、
チョウさんの体に近づいていって確認するのみである。
悦子は他の子供達と一緒になって、
既に終わってしまった物語の語り手である別の誰か、
の見下ろす俯瞰図の中を、
またどこかへ向かって駆け出していく。
つまりこれは、非常に逆説的な言い方ではあるが、
チョウさんの私小説だったという言い方もできるだろう。

以上見てきたように、この物語は、
外在的な視点(語り手)と、人称的な視線(視点人物)を
切り離すことで力を得ていた
チョウさんという人物による「構図」を、
その物語の生成される場の外側から来た「他者」である
悦子が、場、そのものを破壊することによって
瓦解させる話だということができると思う。
ただ、その破壊は、
外在的な視点と内在的な視線の双方を自由に行き来できる
者同士(チョウさんと悦子)の人称的な共感覚に行き着いた後、
住人の生活のレベルでは再び保全され、
元の外観を取り戻すことになる。

その過程で唯一残ったものはといえば、
チョウさんという隠れた場所に居た語り手の、
視点人物としての死、のみである。
マンションという物語を生み出す構造は、
悦子によって破壊されなければならなかった、
が、それは話そのものの新たな展開を阻止するだけで、
事件全体を何ら解決したわけでもない。
場の外在性を死滅させたさらなる外在性としての
悦子の投射能力は、
そこに定住しないことによって与えられた他者性によるものであり、
物語の途中でやってきて(引っ越し)、
また子供たちと何処かへ行ってしまうわけだ。
それを最後の場面から見れば、
チョウさんという一人物が、
やっと自身の死を見つめられることで、
初めから語り手と視点人物(それぞれの人物の視点を、
チョウさんはあたかも現場に居るように知ることができる)を
兼ねていた、という私小説的な一人称の所在を
確かめられる話と取ることもできるし、
初めの頁から素直に読めば、
チョウさん、という語り手がすべてを見渡すことが可能だった、
物語、そのものの生成される場の消滅、ということもできる。
それらのことが、私自身の主張する視点からしてみれば、
コマ割りにおける六つのコード進行の展開によって
語られていくのである。

物語の最後、俯瞰される引きの構図の中の公園で遊ぶ少年は、
「ママァ……、ブランコのお姉ちゃんが消えちゃったよォ」と呟く。
物語を消失させる絶対的な力、を
視点の外在性によって確保する少女は、
登場してきた時と同様に、
また、最後の最後になって他者から認められたからだを
ベンチの上に横たえらせたのとは別の形で、
語り手を失っても尚、
継続する物語の外部に、
どこから現れたのかもわからない少年たちとともに
消え去らなければならなかったのだろうか。

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