Elinを待ちながら: 「さいはて」α版をダウンロードしつつ、Elonaを振り返る

CRPG関連

もしも無人島に一本だけRPGを持っていくなら……、なんて記事を過去に別ブログで書いたことがあるんですが、そのときに私が選んだElonaの続編は、実際に無人島から始まるんですね(笑)。以下はNoa様の開発中の作品である「さいはて」のα版への感想となります。完成されたモノへの批評ではないので、本当に先行してプレイさせて頂いたフィーリング、雑感となります。その辺を考慮頂ける方のみ、続きをお読み下さい。

…………まずは、上の画像を見てほしい。

とにかくセンスの塊! としかいいようがないです、やっぱり。

勿論、画面はまだα版の段階であり、グラフィッククオリティなどもVery lowしか選べなかったりするんですが、それでもこの波間の表現、海辺を数歩歩いた後に聞こえ始めるBGMの自然さなどは、旧Elona プレイヤーにあの冒険の記憶、我が家に当たる洞窟に静かに響く音楽やヴェルニースの酒場に到達したときに挟まれる挿絵の透明感を思い起こさせるのには十分すぎるほどでしょう。

で、直近の島に到達した後に犬を手懐けられずガチャガチャを回し青い奴に殺された後、今の所気付くのは、「操作のしにくさ」ですね。いやお前唐突にサゲるなよ、とツッコまれそうなんですが、やっぱりこの点は気になります。というわけで、この記事では勿論α版であることを何度でも承知した上で、「さいはて」における操作性周りを分析しながら、Elonaとの違い、今後このさいはてがどのようなゲームとして開発されていくのかを、勝手に分析し予想してみたいと思います。

とは言え、私自身はElonaの大ファンであったことも、同時に表明させて頂きたいと思います。実人生のうち500時間以上はNefiaに潜り続けていたわけですから、意見の一つくらい言わせていただいても良さそうなものです(笑)。他方で、新しいゲームはローグライクでもNefiaでもない、というNoa様自身の言及も承知しておりますし、「さいはて」が、どのような方向に基礎づけられようとも、その「新たなプレイフィーリング」を受け入れて楽しめればいいな、とも思っております。

で、話を戻しますと、今回の(現時点での)「さいはて」は、マウスとキーボードの両方で操作するようになっているんですね。勿論ローグライクでないわけで、当たり前っちゃ当たり前の話なんですが、キーボードのキーにプレイヤーの行動を割り当てて打刻感のみでプレイする、っていうElonaのあの感覚はある意味究極だったわけで、やはりその辺の爽快感は(現時点では)失われているとも言えると思います。

もう少し具体的に話を続けますと、この「さいはて」というゲームは、現時点では三人称的な視点を持つゲームだと自分は思っています。

ゲームジャンルで例えると、ハクスラとかストラテジーに当たるものと同様で、つまり、マウス操作を対象へのインタラクトと、敵への攻撃の双方に(ハクスラの場合はPCの移動も、ですが)割り当てているわけです。

ただ、ここでややこしいのは、現在の「さいはて」では、地面に転がっている対象にインタラクトした後、そのアイテムを直接アイテムの種類に応じた行動によって「使用」するか、アイテム自体を一度「拾う」か、という二択が、それぞれ別々に割り当てられたキーによって発生する仕組みになっていることです。

これはプレイヤーにとっては躓きの元、ですね。

前述しましたように、この点についてはいわゆる通常のハクスラ的なゲームを想像して頂ければ比較しやすいと思われるのですが、そういったゲームの場合、むしろキーに割り当てられているのはアイテム欄やクエスト表、ステータス画面などへのショートカットのみで、基本、右手のマウス操作(+ショートカットスキル発動)によって間断のないゲームプレイが可能なわけです。

他方、(α0.2版の)「さいはて」においては、アイテムを拾おうとするたびにそのアイテムをどう扱うか、というインターバルが発生することになる。

この辺りは今後随時変更されていく可能性のあるもの、と当然承知しておりますが、現時点で何故そうなったのか、を分析することは、「さいはて」の開発過程を考える上で重要な視点になりうる、と筆者は考えます。

私自身の結論を真っ先に述べますと、この「操作のしにくさ」の原因は、「さいはて」というゲームが、特定のゲームジャンルの枠に収まらない、混淆的な幾つもの要素を含んだもの、として開発されている事の証明になっている、と思います。

この混淆的な要素への期待、という点については、多くのElonaプレイヤーの方々には理解して頂けると思うのですが、他ならぬ、Noa様の代表作であるElonaをプレイする時、プレイヤーはその箱庭の中に散りばめられた無数のオマージュ、そして他ゲームへの愛情や偏執、または本来同じ場所にくくられるはずのない様々な要素の混在を、その圧倒的な自由度のもとに目の当たりにしたことと思われます。(筆者自身がそうでした)。

……………………
恥ずかしながら、筆者の場合は初めにプレイしたPCゲームがElonaだったもので、その後、触れることになる海外RPGや各種洋ゲーが、むしろElonaの自由度を制限し、グラフィックレベルのみを一人称用に引き上げたもののように感じられもしました。(この、私自身のプレイフィーリングはまあ正しいっちゃ正しい部分もあるんですが、本来は順番が逆ですよね)。
……………………

とは言え、翻してみると、Elonaとは、PCゲームの原初でもあるローグライクというゲームジャンルに、オンラインであるか、シングルプレイであるかも問わず、(洋ゲーかも日本国産かも問わず)、とにかく「面白い」とプレイヤーが感じられる要素をぶち込みまくった、そんなゲームだったと言えるでしょう。

……そして、そのゲームデザインのうち、「どこ」を面白い、と思うかについては、それこそプレイヤー側のゲーム履歴によって微妙に差異が生じてくる、というか、筆者自身がその後何年もかけて海外RPGに少しずつ触れてみるとき、改めてElonaというゲームの味わい深さ、偉大さが分かってきた部分は多分にあります。それくらい、底の深いゲームだったと思います。

(同時に、いまElonaについて上に述べたような主張は、当然、ファンにとってはNoa様の新作である「さいはて」においても当てはまりうる、反復されうるものとして期待されるでしょう)。

と少し話が逸れ過ぎましたが、ここで冒頭述べた視点の問題に戻りますと、ローグライクでもあり、Nefiaでもあった「さいはて」の前作のElonaは、マウス操作を一切必要としない、キーボードのみでプレイする、「二人称」的なゲームだった、わけです。(この点は、ゲーム内ログのPCに与えられた「あなたは」という人称表現によっても追認されるでしょう)。

さらに補足として一人称的な視点のゲームとは何か、について言及しますと、それはゲームジャンルにおいては当然、オープンワールド、ということになりますね。プレイヤーキャラクタを視界のうちに含まない「一人称の」ゲーム画面は、マウスによって完全な「視界の移動」という操作を唯一与えられています。

逆に、ロジクールなどの多機能なゲーミングマウスを手にしていれば、むしろキーボード側のほうが要らない、と言った簡易的なプレイスタイルも、今後VRなどがさらに浸透していくに連れ、主だった物となっていくでしょう。

そこで「さいはて」に戻りますと、このゲームは三人称的なゲームとして作られています。前作に当たるElonaが、オブリビオンやBioshockなど数多の一人称視点のゲームから影響を受けていたのに係わらず、敢えて視点としては二人称を採用し、極端にグラフィックの制限されたローグライク、というゲームデザインの中に全てをぶち込んだ、のに対し、今回の「さいはて」は、視点そのものが未だ折衷的なのです。

私がここで何が言いたいのかは、試しにさいはてのα版をダウンロードしてプレイし、初めの島に到達した時点ですぐにお分かり頂けると思います。プレイヤーは「おお、やっぱりすげえ!」と波間に反射する太陽光に感嘆すると同時に、勝手に変更される視点の高低の下、実際に「どこを向けばいいのか」が分からないからです。

ここには期待と不安の入り混じった状況があります。私自身は開発者でも何でも無いのでUnityを使ったゲームデザインが今後どのように展開していくのかは全くわからないのですが、やはりグラフィック面の美しさ、作り込み、は、今作において追求される要素ではあるのでしょう。
ただ、勿論一ファンとしてはその新たな展開を期待しつつも、Elonaの持っていたあの簡潔さ、ゲームとは作業である、という当たり前の事実がむき出しになった圧倒的な自由度、という最大の魅力が犠牲になることを懸念してもいます。尤も、その双方の問いに対する解は、開発者であるNoa猫様以外知る所ではないのもまた事実、ではありますが……。

ところで、上に述べました筆者の主張をある程度了承頂いたとすると、そこには新たに思考すべき2つの主題が生まれます。

一つは、
一人称、二人称、三人称という視点の問題とゲームデザインの関連性についてです。この点については、「さいはて」の話題から大きく逸れすぎてしまう懸念もあるので、別の記事 海外PC RPGのクエスト構造(人称視点とルート分岐) の中で語っております。

もう一つ、
私がこの記事の中で話を続行したいのは、ではElonaがわずか100MBほどの容量の中に抽出したゲームの面白さ、とは一体何だったのか、ということについてです。

幸か不幸か、前述しましたように私はこのElonaが初めてプレイしたPCゲームだったので、他の洋ゲーをプレイ済みの方がElonaをプレイした時に感じたであろう「ああ、分かる」という感覚、上に述べた「ゲームの魅力の抽出」と、それを遡行してローグライクにぶち込んだ、という感覚は理解できませんでした。
代わりに、
ロマサガとかトルネコとか、日本の家庭用ゲーム機においてD&Dやローグライクを模倣したような作品の延長として初めはこのゲームを捉えたんですね。まあそれも正解といえば正解だったわけですが、筆者がその後プレイすることになるRPGをここで列挙してみると、

RISEN
Dragon Age Origins
Elder Scrolls
Baldur’s Gate
Rance シリーズ
Divinity シリーズ
Drakensang
King’s Bounty
Dark Souls
Fallout3、4 Newvegas
Legend of Grimrock

などが挙げられると思います。
ウルティマ、マイトマ、ウィザードリィの一連の作品をプレイしていない辺りが世代、ということなんでしょう。他方で、Elona以前にプレイして、印象に残っていた日本の家庭用のゲームタイトルとしては、(ベタすぎますが)

ドラクエ
FF(7までと12の戦闘)
ロマサガ
オウガバトルシリーズ
Neo Atlas
ゼルダの伝説

などが挙げられると思います。
ここまでの列挙でなんとなく文の趣意がお分かりの方もおられると思いますが、私にとっては、後に述べた家庭用ゲーム機対応の日本のRPGと、(そこから十年近くブランクがありますが)PC用に発売された海外のRPGを遊び始める結節点に、Elonaというゲームが在ったわけです。

同様の境遇の方がおられれば私は非常に嬉しく思いますが、つまり、過去(小中学生の頃)に遊んだゲームの面白さと、そこからゲームに興味を失っていくプロセス、(勿論実人生の個人的な事情による所も大きいですが)そして、それまで自分の知らなかった海外RPGへの興味を掻き立てるきっかけ、という、一見相反するような3つの要素への動機の全てを、新たに与え直してくれたのが、他ならぬ、Elonaというゲームだったのです。

そこにはやはり、過去にJRPGが持っていたゲームそのものの魅力と、オープンワールドと呼ばれるゲームのグラフィックが急激に進化してく中でまだぎりぎり海外のRPGが持していた魅力の双方が、最適な形で抽出されていたのでしょう。

遠回しになりましたが、そして繰り返しになりますが、それではその純粋培養されたゲームの面白さとはなにか。私が思うに、Elonaが保持しているその抽出液とは、「プレイヤーの想像力に働きかけること」、だと思います。

たとえば天野喜孝氏のグラフィックがステータス画面に採用されていた頃までのFFを想像して頂ければわかりやすいかと思うのですが、プレイヤーは攻略本や説明書に書かれてある彼のイラストを見て、ゲームの中に再現されていない、モンスターの動きやキャラクタの挙動を補完していたはずです。そこにはオープンワールドの一人称の視界はないけれども、プレイヤー自身の頭の中で描かれた「世界」があった。

ロマサガにもオウガバトルにも同様のことが言えますね。Pillars of Eternity や Divinity など、昨今のD&Dライクな海外RPGにも同様のことが言えるし、勿論Elonaにも、そしてElonaにこそこの指摘は当てはまります。

オープンワールドにおいて見える世界を全て描写してしまうのではなく、描写する範囲を敢えて限定し、「プレイヤーの想像力に働きかけること」。これこそが、かつてのJRPGや海外PCRPGが持っていたそして現在急速に失われつつあるRPGの本質なのです。

やたら説教臭い口調になってしまいましたが、ここでもう一つ補足させて頂くと、Elonaはとてもグラフィックの美しいゲームです。上で、オープンワールドを容量制限のせいで作れない為グラフィックを制限している、といような説明をしていますが、そこにはむしろ緻密でかわいらしい、「プレイヤーの想像力を刺激する」上で最適なドット絵の世界があります。また、海外ゲームのMODのようにグラフィック自体を差し替えたりも出来るわけで、一つの完成された世界観をそこに見出すのには十分すぎるほどでしょう。

では長々と何が言いたかったかと言うと、やはり「リソースの裂き方」の最適化、ということですね。ここでも問題になるのはプレイヤーの側の想像力なのです。ゲーム内では、ちいさなメダル、やラグナロク、など、ドラクエやFFなどのJRPGに対するオマージュも満載なのですが、その元ネタがどうこう、という話はさておき、Elonaはこの微細なドット絵の中に、
「プレイヤーの想像力に働きかける」上で最適な表現、を保持していると云えるでしょう。そこにこそかつてのJRPGとの共通項があります。

フィールドを探索する時、ダンジョンに潜り込んだ時、ちょっとしたイベントが起こった瞬間、などに挟まれるイラストによる風景やBGMがその世界表現を豊かにする上で無限に奉仕することは言うまでもないでしょう。私たちはそこに、植松伸夫氏や伊藤賢治氏がロマサガやFFの中で鳴らしたスネアとキック、電子音やオーケストラが回復されるのを目の当たりにしている、とも言えると思います。(過去のJRPGには、CRPGの製作者を初めから目的化していたわけではない作り手の方が多く関わっていたことも、リソースの制限によるプレイヤーの想像力の最適化、というテーマとは勿論関連があることなのでしょう)。

ここには非常に屈折した光景がある、と個人的には思っています。グラフィックスやBGMの表現なども含め、出来ることが多くなってしまったがゆえに、急速に失われた要素がある、と現在のRPGの中に感じるのは私だけでしょうか。

(Pillars of Eternity や Tyranny といった極端な例外を除き)、今、私が言及しているような「劣化」は主にゲーム内テクストの領域において最も単純に顕れますが、そこに記事をフォーカスするとまた話が逸れ過ぎますので、今回はやはり、JRPGとElona,海外RPGの関連性についての地点に最終的に話を落とし込もうと思います。

前述しましたように、「さいはて」においては、Elonaにおいて顕著だった完全な二人称視点への作業的要素の純粋抽出(そしてリソースの制限による世界観と自由度の最大化)と言ったゲームデザインは全く採用されておらず、ある意味で平易な、Unityという開発ツールを採用したことによるグラフィック構造の「正常進化」、が、三人称視点のもとで展開されていると云えます。この展開は、仮に(上に述べたElonaに関する私自身の視点を了承頂いたとすると)、当時のElonaが「プレイヤーの想像力の最適化」の為に働きかけ、採用された方向性とは「逆に」、進んでいるとも言えるわけです。

まあ、かなりややこしい話ではあるんですが、あの ”100MB”のうちに全てを含みこんでいたように見えるElonaを味わい尽くしたファンとしては、どうしてもそのゲームの魅力の純粋培養液としてのElonaの濃度を保持したまま、さらなる「通常」方向のゲームとしての進化を、究極の無いモノねだりと知りながらも望んでしまうことも、フリーゲームのRPGとしての最適解、を作り上げたNoa猫様に対しててであれば、無理からぬことと言えるでしょう。(マジ、一方的ですいません)

で、その開発過程をじっくりと見守らせて頂く上でキーとなるのが、人称的な視点の問題、というのが筆者の「さいはて」に対する結論だということも、既に述べたとおりです。遡って言うと、そもそも「Elin」というゲームをNoa様が開発されていく上で行き着いたある種の最果てこそがこの「さいはて」であって、その模索の過程、そしてこれから模索されていく世界の構築については牧場的ななにか、エバークエスト的ななにか、と言ったNoa様本人による断片的な言葉を手がかりに推し量る他ないのですが、ファンとしては、やはりこの「さいはて」が初めにElinだった場所から幾つもの経路を経てたどり着いた孤島であるとすれば、いずれは元々Elinが置いてあった場所、ローグライクではないにせよ、ゲームブック的、D&D的、場合によってはランダム生成をも含んだ(Elonaファンが勝手に妄想を膨らませていた可能性のある)
大陸へ、
最終的に包括されて帰還する可能性のある取っ掛かりとして構築されていくことを願うばかりであります。とは言え、今上に述べたことは全て筆者の一方的な願望であり、ゲーム開発そのものにかかる膨大な労力を考えた場合、「大陸」的な、メインクエストを中央に含みこんだRPGよりもまずはサンドボックス的要素の方が作りやすいのかも知れませんし、まあ何が言いたいのかと言うと、どんな形になるにせよ、そしてどんなペースで世界が作られていくにせよ、すべてを受け入れて、Noa様の作る世界を味わわせていただきたいということです(笑)。

以上、「さいはて」のα版に対する期待と雑感を書いてみました。記事としてはこれで終わりなのですが、ここで書いたテーマからある種派生的に、
2018年以降発売される名作RPGのシステムを予測する
という記事も書いてみました。
Elonaが閉じ込めたような海外RPGの魅力、それらが薄められない形で、今後発売される名作RPGの続編に封じ込められていくとしたらどういうものができるか、もしくは、そうして正常進化していけば凄いものができそうなのに、何故か衰退していっているようにも見えるRPGへの批判を書き連ねています。まあ何にしても一方的な記事ではあるんですが、ファンというのは愛があればこそ我儘なもの、ということで、もし興味のある方はご覧になってみて下さい。

コメント