Fallout76ラスト攻略と発射コード解読(ブラストゾーンとゲームの消失)

CRPG関連

何故、Bethesdaは、自社のゲーム史上に残るこんな失敗作を世に送り出そうと思ったのか。そして、何故、現状でのメインクエストラストはここまで難解なのか。以下は、ブラストゾーンが頻発するホワイトスプリングス、アパラチアからの、Fallout76の一般的な海外評価への返答となります。

初めに、記事の特性上、Fallout76に関する軽いネタバレ、及び、間接的な形での3,4、NVへの言及は避けられませんので、その辺を了承頂ける方のみ先へお進み下さい。

逆に、Fallout76の(ほとんど存在しないに等しい)ストーリーを純粋に楽しみたい方、現在、未プレイで、まっさらな状態で今後プレイされたい方は、そこまで盛大なネタバレをしているわけではありませんが、お読みにならない方がよろしいかと思います。

一度ご自身でラストまで進まれた方や、現状での評価を概観して、当分の間はFallout76をプレイされる予定のない方は、軽い気持ちで読んで頂ければ、というような内容です。

1 暗号の解読

さて、前置きばかりが長くなってしまいましたが、結論から申しますと、私自身はミサイルを発射するまでには至っておりません。なんだこいつ、結局クリアしてねえんじゃねえか、と言われそうなんですが、そのメインクエストラストをプレイしている間に得た所見を元に、今回この記事の全体の概観のようなものに思い至った次第です。

で、まあ現状でのメインクエストラストをソロでやろうって人の方が珍しいと思うんですが、一応発射直前の番号入力の所までは行きました。というか、そこに行き着くまでがまためちゃめちゃ長い。且つ、頻繁にサーバー落ちするから、敵との戦いっていうよりも、通信が最後まで保たれうるか、ってそっちの方にビクビクしながらの攻略になる(笑)。

途中、サーバーメンテナンスによる強制退去の警告まで挟んで、4~5回ほどですか、失敗を繰り返し、(偶然、レベル123の奴が入り込んできたこともあり、なんか敵がめちゃくちゃ高レベルになることもありました。しかも、その方、高レベルの敵に囲まれる俺を放置して、そのまま帰っちゃったんですよね)

とにかく最後まで進むと、待ち受けていたのが、復号化済みの番号入力が必要、という最後のキーパッドだったわけです。

いや、勿論、ググれば一発ってことも分かってはおります。で、シングルプレイじゃねえし別にいいか、ってことで、軽い気持ちで実際に検索もかけたんですが、(日本語の記述で参考にしたのは、こちらの記事ですね)

まあ、その内容見る限り、何だこりゃ、絶対に自力では解決できなかっただろうな、と思って、その場に呆然と立ち尽くしてしまいました。

たまたま選んだサイロチャーリーの情報が少なかったこともあり、

1 スコーチ士官が持っている断片化されたコードを集め、

2 ローマ字と数字を確認し、

3 それと某地下施設内の解読のための文字表示を照らし合わせる、

という過程を経た上で、復号化された数値をキーパッドに入力する、という行動ができなかった。なんか変な書き方になりましたが、要は、
「これ、ゲーム内の謎解きとして面白いのかな」
「そもそも自分だけの情報でプレイしてたら、絶対解けてないよな」

という思いが先に立ってしまい、仮に深く検索したら見つけられるであろう、誰かがすでに解読済みの(その後は更新されうる)数値を、ひとまずその場しのぎで、ミサイル発射のために入力することが出来なかったわけです。

この時に湧き上がった疑問について、もう少し具体的に補足すると、たとえば、Legend of Grimrock 2というゲームがありました。(プレイ内容については、CRPGまにあのSさんのブログが詳しい)

このゲームの謎解きも非常に難解ではあったんですが、それでも、ゲーム内で完結している、というか、その世界内に与えられた情報を丁寧に読み解いていけば、プレイヤーは絶対に物語の最後にまでたどり着けるはずだ、というような確信があった。

ただ、今回のFallout76の最後の暗号の解読は、個人的にはそれとはちょっと異なった印象を持ちました。なんというか、WEB検索前提というか、どうせならそこもCo-opで解いて下さい、と、クエスト攻略そのものを、それこそ暗号解読に関する専門的な知識のある方に丸投げしているような感じです。

暗号解析専門サイトの余りに洗練された外観も含め、なんか、自分がクエスト内容の「解法」まで共有されたゲームの外部に、一気に置いてきぼりにされてしまったような気がしたんですよね。ぼっちでもそれなりに楽しめる、と思って最後まで行き着いたんですが、いや、それじゃお前無理だよ、と。

このゲームは「オンライン」のプレイ前提なのであって、情報まで全てゲームの外部から収集しなければいけないし、手早く検索掛けられて最適化させた奴の勝ち、ってゲームの最終盤になって言われた気がする。

上記のことは、勿論、全てプレイヤーとしての筆者の主観であります。正直、ターミナルの文章とか今回まともに読んでなかったし、(あんまりストーリーを追う為のゲームだと感じられなかった)仮にネット上に情報が溢れかえっているとしても、「初めに解いたやつ」は必ず存在するわけで、丹念にゲームプレイをしていなかった付けが、最後になって回ってきたとも考えられます。

しかしながら、今回そうしたストーリーそのものを味わわせるようなゲーム設計が、まるで存在しなかった、と共感して頂ける方も多いのではないでしょうか。暗号キーを持っているスコーチ士官、キーカードを保持しているカーゴボット、それらを全てロボットが管理していることも含め、何が何やらよく分からん展開だった。

良質な漫画や映画、小説のように、
「あ、実はそういうことだったんだ」、と納得させられるというより、常に後付けで延々とお使いの行き先が指定され続けるような感じ。だから、最後の暗号に関しても、
「きちんと情報収集してるやつには分かるんだろうな」、と理解する方より、
「もういいや、流石に疲れたわ。ついて行けない」と呟いた方のほうが多かったのではないか。私自身、最後のクエスト完了の直前までたどり着いて、呆然と立ち尽くしてしまった、というのはそういう意味です。

2 Bethesdaが暗号に込めた意味

で、ここからは多分に推測や憶測を含んだ、飛躍した記事内容になるのですが、改めて思ったのは、じゃあ何で、ここまで難解なクリア要件を、Bethesdaはゲームのラストに用意したのだろう、ということです。

普通に考えれば、極めて高いハードルをラストに設定することで、ゲーム体験を引き伸ばすために、この薄っぺらで何もない空虚のようなゲームを終わらせないように仕組んでおいた、とも取れると思います。

実際、ミサイルをどこかに発射した上で、このゲーム全体に行き渡るお使い的な感覚、やらされてる感、それでも残存する中毒性などを、クリアまでの150時間ほどの中に振り返ることは可能なのでしょうし、「何にしてもつまらない」、という結論を巨大な爆発を示す雲の中に見出す方がほとんどだったのではないかとも思われます。

ただ、私自身は、本当にたまたま、このゲームを「クリアできなかった」んですよね。いや、最後の最後のクエストを、完全に誰かの手によって解かれた暗号で以って終わらせていいのかどうか。WEB上のどなたかが提示したチャーリーの番号が通らなかった時点で、一回立ち止まって考えました。

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そうして、ミサイルサイロ内で立ち尽くすこと十数分、このクエストに対する、ある種の結論が立ち現れてきました。それは何かと言うと、Bethesdaは明らかに、「ミサイルを発射させない」事態を意図している、ということです。

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これはある種の究極の逆説です。普通は、ゲームを最後までクリアすること、でプレイヤーは一定の達成感を得ると思うのですが、むしろこのゲームの場合は、そうして用意されたミサイル発射のための障壁を限りなく高く設定し、「撃ってはいけない」、という倫理観を最後に提示しているとも言える。

つーか普通に「撃つ」、人がほとんどなんでしょうけど、私自身はそう受け止めました。みんなで力を合わせて、暗号の解法を考え、サイロ内の数多のロボットを排除して、なんとかかんとかたどり着きうるキーパッドを敢えて「解かせないこと」。(そして、そこまで難解に設定されているにもかかわらず、結局はほとんどのプレイヤーがそれを入力すること)。

これが、核ミサイルを発射する、という一般的な観点からしてみれば、余りに非倫理的なゲームラストに対するBethesdaの用意した仕掛けだったのではないか。そう考えると、この全てが空虚でやらされてる感に溢れたゲーム全体への印象も、まるで方向を転じられたもののようにも感じられてきたのです。

3 予め意図されたクソゲー感覚

↑ 撃ち落とさなければならないことを知らず、延々追いかけてる図

で、このゲームがクソゲーである理由を上げていったら枚挙に暇がないんですが(上はその典型)、じゃあBethesda がそれを分からないで作っていたのかと云えば、全然そんなことはないような気もしてきた、というのが、ラストクエストを体験した後での私の率直な感想になります。

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以下は、それらの結論に至るための幾つかの根拠の指定ですが、ここまでの記載内容以上に、多分に筆者の主観を含みますので、ご不快でない方のみさらに先へお進み下さい
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かつての、ベセスダゲーが持っていた魅力をすべて失ったように見えるこのゲームを、Bethesdaが敢えて作っているとしたらどうでしょう。そうとしか考えられない、というのが、TESやFallout3,4を遊んだ多くの方の所感だとも思われますが、私なりにこの結論に達し直したのには、ラストクエストから遡って考えさせられた、幾つかの所以があります。

1 NPCの不在

まずは海外の評価としても一般的なこの欠点なんですが、私は当初、別記事でも書いてますが、この誰もいない場所、としてのアパラチアが、トランク容量や拠点容量と同様に、サーバー負荷を軽減するための配慮に過ぎないと思っていたんですね。

ただ、ラストに提示されていた「倫理観」から遡る場合、この点も全く別様に解釈されてきます。つまり、NPC自体を描けない、何らかの制約が、Falloutをオンライン化する上であったのではないか、ということです。

その制約とは、おそらくはNPC殺害の不可能性、ですね。今までのシリーズの特性上、
NPCがフィールド内に出現するということは、NPCを殺すことが可能でなければならない。ただ、それを黙認すると、レイダーやらスカベンジャーの集団も含め、「人を殺す」ゲームになってしまう。

勿論、FPSとは人を殺すことが前提のゲームなのだとは思いますが、そこには、「戦争中であるから」とか、「サバイバルゲーム然とした仮想された世界であるから」という、殺人を規定するための前提条件の付される事がほとんどだとも思われます。

つまり、ポストアポカリプスとは云え日常的な、互いにキャンプを築きあって共生する可能性のあるフィールド上で、体の部位が飛ぶ描写まである殺人を、NPCの殺害可能性まで含めて是認することは出来なかったのではないか。

今、上に述べたことは、当然のことながら、これまでのシリーズ上では認められていたことでもあります。メガトン、っていう町まであったくらいですから。ですが、それはシングルプレイ上の、年齢制限を設けられた、且つその世界の世界観を深く読み込もうとするプレイヤーにのみ許された(許されえない)経験なのであって、それこそ、「ゲームとは云えこれはどうなんだろう」、と考えるユーザー側の存在を前提としてこそ可能だったわけです。

ただ、それらの残酷なFalloutシリーズの特徴を、オンライン用として、ある意味ではカジュアル化する場合、NPCの殺害、という要素までもが、簡素化され、無造作に人と人との殺し合いができるゲームだ、という外形を与えたくはなかったのではないか。…つまり、ソフト路線になった、ということですね。

そう考えますと、NPCが登場しないのは、単にサーバーに掛かる負荷を軽減するため、ではなく、何らかのストーリー上の意図があったから、でもなく、むしろ倫理的な問題なのです。この仮定が正しかった場合、今後パッチによるアップデートを経た後であっても、最後までNPCが出てこない、という可能性もあるかも知れない。

筆者自身はいい意味で上に述べた予想と前提の裏切られることを期待しておりますが、最後のクエストから遡って類推すると、それも難しいのかな、と現在では思っている所です。

2 敵種類の限定

上述のことの帰結として、必然的に、プレイヤーが相手にする敵も、人間以外の異形のもの限定、ということになってしまいますね。

具体的には、スコーチ、ロボット、スーパーミュータント、変異した動物や昆虫、などになっておりますが、彼らを倒すのであれば、ある意味では正当防衛として、ゲームそのものが倫理的な批判の対象となることを回避できる、というわけです。

この点に関しては、たとえば他のオンライン上での殺し合いや協力プレイのあるゲームを想定すれば、納得せざるを得ない部分もあるかも知れません。

霊体と霊体が仮想の世界で争い合っているだけだったり、倒せる対象は今回のFallout76と同様にモンスターだけだったり、やはりそこにはシングルプレイと比較して、ストーリー上の馴致を必要としないで済むような、不必要な批判をされないで済まされるような、運営上の工夫としての一元化が必要なのでしょう。少なくとも、善良な市民が何の脈絡もなく殺害されることの可能なような、(特にその殺害のされ方までもが詳細に描写されることを特徴とするFalloutにとっては)、そのようなゲーム性を嗜好されること自体が許されなかったのではないか。

遡って言うと、やはり敵であれ味方であれ、今後NPCが普通に登場することは難しいかも知れませんね。もし登場するとしても、その存在には、これまでのBethesdaがNPCに割り当ててきたのとは異なる、自由度を失った意義しか見出されない可能性の方が高いです。

3 では何故そもそもオンライン化したのか

重要なのはここからなのですが、じゃあ何でそもそもこのゲームを作ったのかってことですよね。

繰り返しになりますが、ここまで述べてきた前提条件をガチガチに守る場合、どうしたって、今までのRPG体験を再現できるはずのないものができ上がるだろうし、そんなことは、テストプレイを重ねていたであろう当のBethesdaの開発者たちには分からないはずはない。

この点から導き出される唯一の結論は、「Bethesdaは敢えてクソゲーを作った」ということです。何故そうしたのかは、正直、部外者の私には全く分かりません。一方的に類推するとすれば、他のゲームの開発資金が足りず、ビッグタイトルをオンライン化してそれらの側に充てようとしたとか、出資者側の強い要望があり、やむなく遂行したとか、色々な視点はありうるでしょうが、勿論、どれも確証されるような話ではありませんね。

ただ、このゲームをプレイしたBethesdaのファンからは、一様にゲーム性自体に対する疑問を挟まれることも確かだろうし、その解を逆算すると、上記のような、穿った見方に基づく、Bethesda側の何らかの「明確な」意図を邪推せざるを得ない。

この、私自身のしょうもない視点に言及するのは、やはりメインクエストラスト周りの体験があったからです。それがなければ、「まあこれから徐々に良くなっていくこともあるでしょう」くらいの、月並みな見立てに落ち着いていた可能性が高い。ですが、暗号解読の不可能性、極端な難解さ、に立ち会った時に、このゲームは単に未熟である以上に、何らかの企画上の意図が込められているのではないか、と考えざるを得なくなった。

最後のクエストを経ると、本当に、全てが逆転して見えてくるんですよね。このゲームは、クリアしてはいけないゲームなんじゃないか、オンラインで敵モンスターを殺し続けることが果たして許されているのかどうか。何の疑問も差し挟まずプレイヤーが浴びていた血しぶきの中に、改めて倫理観を問われ直す気がする。

以上のことは、全て筆者の完全な思い込みであり、あまりにも偏った視点からの批評であることは承知してます。ただ、シングルプレイとして極上のRPGを作り続けてきたBethesdaは、むしろ、Co-oPとしてクソゲーを作ることで、やはりBethesdaのゲームはソロのサンドボックスじゃなくちゃダメだ、とユーザーに納得させたかった部分はあるのではないか。

膨大な金を浪費してまで、今現在のRPGやオンラインゲームに対する問いかけを試みるための壮大な実験のような、そうした「失敗作」を敢えて世に送り出そうとした、というのが、このゲームを150時間以上プレイした私個人の感想であり、現状のメインクエストラストに辿り着いた末の所感であります。

かなり逆説的ではあるんですが、上に述べたことは、ラスト付近のクエストに到達するまでの、ささやかなストーリー展開を補強してもいます。地下施設、物語の核心に降りていくラストの下りの中には、ああ、やっぱりこれはBethesdaが作ったRPGなんだ、と感じられる瞬間が、最後の最後になってようやく訪れてくる実感がある。

その要因となっているのは、本当に、このゲームのフィールドの空疎さそのもの、なのです。あまりにも地上に何もない世界、ゲームとしての楽しみようのない世界をあえて作ることで、ラストの人類としての過ち、それによって引き起こされた災厄の体験を、リアリティーのあるものとして実感させようとしているのではないか。少なくとも、現状のアパラチアを、私はそのような批評性の込められた大地として捉えています。

4 シリーズの発端としての76

と、ひとまず結論のようなものに行き着いたところで、ここからは3,4,NVに連なるシリーズ作品としてのFallout76、を位置づけ直してみたいと思います。

私は事前に、Fallout76プレイ直前に、

Fallout76をBethesda.netでコンビニ購入しつつ、シリーズを比較する
初期のSTEAM時代の名残で、未使用のサイト使う時はVprica使用を考えてしまう俺です。

という記事を書いておいたんですが、その時に予測していた内容と、個人的な答え合わせをしてみよう、ということです。

まあこの点についても結論から言うと、このゲームはやはり、Bethesdaの作ったFalloutシリーズそのものだった、ということになるんじゃないでしょうか。かなり逆張りにはなりましたが、ここまでの記事をお読み頂いた方には何となく私が主張しようとしてることはイメージしてもらえると思います。

ただ、改めて分析し直すと、事前の予想の中で、私はFalloutシリーズの一つの特徴として、「時間軸の錯綜」という点を取り上げているのですが、
ある意味では今回の76は、

過去、現在、未来、(Fallout3)
勃興、復興、再興、(Fallout4)

として抽出したプレイヤー側の体感する時間感覚を、それらのシリーズに連なっていく大元の地点から、補完し直しているとも言えるのではないでしょうか。

「戦争は終わらない」というのが、シリーズに共通した一つの標語だったわけですが、一方で、今までのFalloutシリーズの場合には、その「終わらない」戦争の間の一種の間隙のような、共存、共生された人間同士のやり取りが、クエストとしても、勢力間の争いとしても、常に物語の主題としてクロースアップされていたはずです。

他方で、今回のFallout76の場合は、そうした人間関係の相克が描かれる代わりに、
(そもそもNPCが存在しませんから)本当に何もない空虚のようなものが描かれている。この点については、今までのシリーズとは決定的に違いますね。敢えて、フォローするとすれば、この場所は、過去、現在、未来、とプレイヤーが設定された時代を眺め回して風景の残骸を体感する前の、戦争そのものが終わった直後の場所、多様なクエストやイベントが起こりうるはずのないゼロ地点のような場所を指示しているとも考えられるでしょう。

で、この何もない場所、というのは、ある意味でFallout3をプレイしたことのない人が、初めに想定しがちな空虚、でもある。私自身は、何かもうほとんど人が住んでいなくて、Vaultの外は全て放射能まみれ、みたいな世界を3をプレイする以前はFalloutに対して想像していたんですが、まあそこまで過酷ではないにしても、今回の76は図らずも、何だかんだ皆が人生を謳歌している3以降の世界より、ある意味でポストアポカリプス的な世界を表現しているとも言えると思います。

勿論、これはRPGとしては極端に退屈なものになりますね。他方で、今は敢えて贔屓目にフォローしたけれども、サバイバル感覚、に関してもそこまで強いゲームではないですし。

多様な勢力がいて、そこに立ち現れる人間関係や勢力間の思惑の中でのせめぎ合い、プレイヤーの立ち回りが充実しているゲームの方が面白いに決まっている。が、一向に協力しあわないプレイヤー同士の関係性も含め(笑)、この何もない大地には、核で汚染された世界の本当にどうしようもない感じ、閉鎖性、何も起こりようのない退屈さと失望が、ゲーム自体のつまらなさと相まって、リアリティを伴って漂い続けていることも確かだと思われます。だから、このゲームはオンラインのRPGというより、RPGに対する批評のようなものとして捉えた方が適切なのでしょう。

そういった意味では、オープンワールドにTRPG世界を内在させたNVとの比較こそが、真逆同士の組み合わせとして76を見る上で面白い、かとも思うのですが、ここではそちら側に視点を移すことはしません。そちらに立ち入ろうとすると、かなり大きな「CRPGとは何か」という問いまで含んでしまうような気がするので。

一応、NVに関しては既に過去の記事で言及しておりますので、もし興味のある方には、私が76プレイ以前に書いたそちらの内容を参照してもらうとして、少なくともここでは、76のクソゲー感覚の中に、シリーズを規定する大元のポストアポカリプス感覚、のようなものが存していることへの言及に留めておきます。

5 まとめ

というわけで、ざっくり言い直すと、このゲームのクソさ、こそが、Fallout76のゲームとしての本質である、とそういうことになります。

で、ラストのクエストの難解さを無理やり検索して突破して、「もうこのゲームと決着を付けておサラバできるぞ」っつう感じで、日々ミサイルの撃ち込まれているのがアパラチア、ということです。

私自身は、そうしてブラストゾーンを作るのに失敗した挙げ句、何か達観のようなものに思い至り、今回の記事をひねり出してみました。他のゲームに対する批評も大概ひねくれたものなのですが、今回は特に、始めから終わりまで全部逆説のような内容になってしまったことをお許し下さい。

もう記事自体が全部不必要な蛇足みたいな内容なんで、蛇足ついでにもう一つ付け足すと、このゲーム、今年やった中では何かすげーランス10に似てるんですよね。カードの組み合わせを考える楽しさと、結局そのカードシステム自体がいまいちうまく機能してない点、そして無限の収集要素と、マゾさ、RPGとしては完全に空疎である点など、本当にプレイ感覚が似ていると感じました。というか、こういうクソゲーであると言及せざるを得ないのにかかわらず、且つそれでも中毒性があるゲームって、本当にタチが悪い(笑)。一番抜け出せないパターン、でもあり、なにか充実感のないまま延々プレイさせられる感覚がある。

で、そのランス10の記事の中でも、神ゲーとクソゲーは紙一重である、というようなことを書いたんですが、今回の76も、全く同様のことが言えそうですよね。ましてこっちの76の場合はオンラインのゲームでもあり、パッチ如何で変貌する余地が多分に残されている。

その際に注目されるべきなのは、やはりNPC周り、ということになりそうですが、上に述べたとおり、ラスト付近のクエストを経験した今では、正直そこを期待するのは難しいのかな、という気もしています。

というわけで、余りに長文になりましたが、最後に、海外の評価一般に触れつつ、76に対する雑感の〆にしたいと思います。

大体、批評サイトの平均は45~50点くらいですか。

MetaCriticのリンク

いや、極めて妥当な値なんじゃないですかね。ただ、本当に最後まで逆張りで申し訳ないのですが、その数値は、Bethesdaは織り込み済みだよ、と。問題は、その数値を、質的な低さと捉えるか、量的な低さと捉えるか。

私自身の最終結論から言うと、初めは、トランク容量も含め「量的な」問題を孕んでいるだけかとも思っていたのですが、(NPCもこの負荷の軽減によって、登場してくると考えていた)いや、むしろこのゲームのクソゲー感覚は、「質的な」永久に取り去ることの出来ない課題を含んでいます。

ですが、そここそがこのゲームの本質なのです。オンラインゲームとしての中毒性を伴わせつつ、「何だこのクソゲー」と、ミサイル発射前にプレイヤーを立ち止まらせること。そして、ひたすら敵を撃ち殺し続けるゲーム内容そのものの前で、「RPGとは何か」という問題について改めて考えさせること。

この点を仮に開発者側が意図として作っているとしたら、76のクソゲー感覚、お使い感覚は、いくらパッチを重ねても残存させられ続けるでしょう。だからといって、プレイヤーはBethesdaを完全に見放す気にもならないんだろうし……。

ブラストゾーン、とは、そういった意味で、延々各所をたらい回しにされたプレイヤーの不平や鬱屈が世界にぶちまけられたものだとも言えるはずです。そして、Bethesdaの設定したその障壁が、いともたやすく打ち破られた結果でもあるのでしょう。更にその先に、何が待ち受けているかは今現在では全く分かりませんが。

クソゲーであることを運命づけられたゲーム、の只中で、何もない空虚、欠落、退廃の爆発を、私を含むプレイヤーは今まさに、見せつけられている所であります。あなたがもしこのゲームを未プレイなら、そうしたRPGにとっての0地点、を観察しにアパラチアに降りてみるのも一興というものでしょう。

かなり批判的なことばかりを書いたようではありますが、このゲームが何か得体の知れない批評性を持っていることだけは確かです。そう結論づけて、ひとまず不毛な大地からの報告を終えたいと思います。ここまで長々とお読み頂きありがとうございました。
ではでは。

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