教師の消えた学校の同級生「ヴェロニカ・カイセ」

NPC

VR1132年生まれ 女性

ヴェロニカ・カイセは、ドローエンにあるチェシン東高等学校の3年生である。尚、この学校の3年β組には、八ヶ月に渡って担任が割り当てられていない。

来歴

9年間の初等教育と三年間の高校教育を義務付けられたスレッドの教育体制において、「学校」に通うのはむしろ生徒側の義務であったから、彼ら(彼女たち)を指導するために、当然、チェシン東高校でも18名の優秀な教員がそれぞれのクラスを担当していた。

ただ、その「事件」はあまりに唐突に起こる。指導に熱心で、問と答えの間の煩悶を全ての学生たちと共有していたように見えた3年β組の担任だったヒューズ・フィリオンという男性が、通学中に突然傍らを通り過ぎた飛脚と激突し、そのまま死亡してしまったのである。

これに生徒たちは著しく落胆した。不可解な死亡事故に、ヒューズの遺体をそのまま放置して逃走した飛脚の側の責任を追求するため、学校側が取りうる対応を怠ったように見えたことも、生徒たちをさらに失望させる一因となった。学級委員長だったヴェロニカは、当時を回想して、「正直、もう犯人がどうとかどうでも良くて。ただただ、先生と会えなくなっちゃったのが悲しかった」と校内新聞の中で語っている。

上に述べられたような彼女の心象は、当時在籍していた3年β組の生徒たちに共通のものだったようだ。そこで、ヒューズの葬儀が済まされた後も頑なに彼の死因について口を閉ざす学校側に対し、β組の面々はある行動に出る。

抗議の意味の込められたその行動とは、新任教師ケリー・ペイシェントの授業への「動的な」ボイコットである。通常こうした場合、学校そのものをサボったり、授業を真面目に受けないなどして、教師への反抗を示すのが若者の常だが、3年β組の生徒たちは逆に、優秀な進学校とされるチェシン東高校教師のケリー女史でさえ追いつけないレベルにまで自身の学業を押し進め、先生にも絶対に答えられないような問いを発し、ヒューズの死に対する説明責任を蔑ろにした学校側の派遣人の女を追いつめようとしたのである。

勿論、事件そのものの責任が彼女にないことは、クラスに在籍する16人の生徒全員が分かっていたようである。目撃者のいない事件の真相を解明するために、ヒューズ先生の死亡した現場に献花と実証見聞を兼ねて訪れたことも一度や二度ではなかったという。ただ、その度に虚しさが募る。付近の畑から刈り取られた雑草の散らばる路上を見つめていると、少しぽっちゃりとした在りし日の先生の姿が思い出されてしまった、と後になってヴェロニカは語っている。

国語数学理科社会体育美術、すべての教科で、とにかく仲間たちに負けないように勉強し続けろ、と既に死んでしまったヒューズ先生は言う。そして、それらの教科で得た知識を全て、音楽に捧げるのだ、と彼は言った。フロウタールの圏域では、振動書の適切な演奏こそが至上の信仰とされていたから当然といえば当然の話だが、ヒューズの音楽の授業への情熱は、死後も生徒たちに彼の言葉を思い起こさせるのには十分すぎるほど鮮烈だったようなのである。

そうした期間を経て、とうとう音を上げたのは、生徒たちに「意図的に」質問を浴びせかけられ続けたケリー女史の方だった。前任者とは対照的に、予め決められた質疑の内容を反芻するような彼女の指導方針に、愛想を尽き果てて授業を放棄するどころか、生徒たちはむしろこれ以上無いほどに積極的に授業に参加してくる。ケリーは、「実の所、私は教頭先生にヒューズ先生の件について触れないように言い含められていた」と内情の一部を暴露し、二ヶ月ほどで学校を辞めてしまった。

では残された生徒たちが何をしているかと言うと、答えは明白で、互いに深めあった知識を交互に教師となって分け合いながら、放課後のすべてを音楽に捧げる。

……以上のことは全て、ヴェロニカがチェシン東高校の新聞部の取材を受けて、構内紙として発行したインタビューの抜粋である。彼女はその中で、結果的にクラスの全員が留年することになってしまったが、今後もこの状態が続いた場合はどうする? と聞かれ、

「そしたらさ、このままみんなで先生の死んだ場所からライブツアーにでも出ようかと思ってるんだ」

と率直に語っている。その後、彼女たちが実際にどう処遇されたかについては、非常に中途半端なようではあるが、この学校の校長の側の視点から書かれた別記事に譲ろうと思う。

日々の行動と能力

1 音楽を学ぶ

2 国語を勉強する

3 数学を勉強する

4 理科を勉強する

5 社会を勉強する

6 グラウンドで体を動かす

SPECIAL
4756558
闘争華美飽食享楽不寛勤勉渇望
111111
空間時間
33
保持スキル演奏抵抗

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