スヴェン・ミスリンタートの七日:FFP の意義を巡って

サッカー関連

今回は、ミスリンタート氏のアーセナルへの移籍から
始まった一連の移籍劇、ミシー・バチュアイ、
エメリク・オーバーメヤン、アレクシス・サンチェス、
オリヴィエ・ジルー、ヘンリク・ムヒタリアンの
4クラブ間のトレード、を基に、
翻ってファイナンシャルフェアプレイそのものの
意義にまで言及してみたい。

話題の扱うテーマが広範囲に及ぶので、
まずは事実だけ整理すると、
それぞれのクラブ内で出場機会に問題を抱えていた
上記4選手が、それぞれ放出先のクラブに
「請われる形で」移籍した、ということだ。

その移籍劇を主導したのは、
冬の移籍市場の前にドルトムントからアーセナルへ
自身の仕事場を移したスヴェン・ミスリンタート氏、
だと言って間違いはないだろう。
というのも、そもそもアレクシス・サンチェスは、
夏の移籍市場の段階、それ以降の出場機会を失った
秋から冬にかけての段階においては、
ほとんどマンチェスター・Cへの移籍が
既定路線のように言われていたのである。

ところが、蓋を開けてみると、
サンチェスはマン・Cへの移籍ではなく、
マン・Uへの移籍を選択した。
この点については、約束されたサラリーの問題など、
もちろん色々な要因があったとは思うが、
選手とクラブ間の話し合いとは別に、
移籍金そのものをやり取りする
クラブ間同士の話し合いもなかったとは言えないだろう。

むしろ、その段階の交渉において、
売り手のクラブ側(ここではアーセナル)が、
どこへ売ったら一番得か、を熟慮するのは、
至極当然のことといえる。
場合によっては、同等の移籍金のオファーがあったとしても、
片方のクラブとの交渉を認め、
もう片側のクラブとの交渉を認めない、
といったやり方は、
クラブの権利として当然のこととしてあり得る。
そこで推測されるのが、
アーセナル側が初めから交換要員として
ムヒタリアンを狙っていた可能性だ。

ここで「初めから」というのは、
おそらくはスヴェン・ミスリンタート氏が
スカウト部門のトップに就任した時から、
と言い直すことができると思う。
アーセン・ヴェンゲルは必ずしも彼の就任を
歓迎してはいないようだが、
逆に言えば、
それでも履行されたクラブの編成部門の刷新の中で、
トップに立ったミスリンタート氏が彼自身の仕事の
まず初めの第一歩として、
同一リーグのライバルクラブのもとで
出場機会を失っている、かつての自身の発掘対象を
狙ったとしても全く不思議ではないだろう。
事実として、ムヒタリアンはサンチェスと
入れ替わる形でアーセナルに加入した。

この事自体がミスリンタート氏のファインプレイと
言えるだろう。ヴェンゲルに言わせれば、
「ワールドクラスを放出してワールドクラスを
手に入れた」わけであり、
且つ残り契約期間が六ヶ月の選手を売却しながら、
多額の移籍金まで手に入れたのだ。
そして、その高額な移籍金は、別クラブ間とのさらなる
移籍劇を引き起こすことになる。

まずアーセナル側の具体的なターゲットとしては、
レアルファンを公言しながら
何故かマドリード側からは全くアプローチを
受けなかった、これもミスリンタート氏のかつての
発掘対象だったピエール・エメリク・オーバーメヤンが
挙げられる。当然、ついこの間まで
在籍していたクラブでの選手の不安定な状況を、
完全にミスリンタートは把握していただろう。
(まあ、1月の状況でのオーバの行動を見ていれば
誰にでも分かるが)。
一定の移籍金さえあればクラブ側も選手側も移籍を呑む
ことは、その必要な移籍金の下一桁に至るまで
計算可能だったかもしれない。

ただ問題は、ここでもやはり交換要員の問題だ。
今度は放出する側のドルトムントが、
アーセナルがマン・Uにムヒタリアンを望んだように
代替となるFWを望んだのである。

事の真偽は定かではないが、
ドルトムント側は初めからジルーの獲得に
懐疑的だったのではないか。
近年のドルトムントの選手獲得傾向は、
同2018年の冬に獲得したアカンジの例を
取るまでもなく、
極端に将来性を採る側に偏っている。
現在31歳のジルーを、
窮余の一策としてでも獲得する気は
なかったようにも思われる。

だが当記事執筆者の勝手な推測は、
他ならぬジルー本人の意向によって上書きされる。
夫人がロンドンを離れることを嫌ったため、
と公には囁かれているが、
ともかくボルシアにジルーが向かうことは
なくなったのである。

よって、既に明らかな事実に改めて言及すると、
オーバーメヤンは本人の意向どおり海を渡り、
ジルーはロンドンに居を構えたままチェルシーに
移籍し、
代わりにこれも出場機会を失っていた
バチュアイがドルトムントへ期限付き移籍することとなった。

これほど見事な三角トレードがかつてあっただろうか。
重要なのは、サンチェス、ムヒタリアンの
場合と同じく、
それぞれのクラブで「干されている」実力者が、
各々の不満を解消する形で、
新しいクラブに移り、そこで満足な待遇を
(今のところ)与えられていることだ。

後者の三角トレードのすべてを、
ミスリンタート氏が取り仕切ったとは勿論言えないだろう。
だが事実として、アーセナルは彼のかつての
スカウト対象だった、そしてドルトムントで飛躍的に
成長した二選手を手に入れたのである。
ドルトムントからすれば、
スカウトとともにそのスカウトの仕事ぶりまで
いっしょに引き抜かれたような心持ちだろう。

とは言え、
バチュアイ、サンチェス、ムヒタリアン、オーバメヤン、
ジルーのそれぞれが移籍先の各クラブで、
ひとまず得点に絡む働きぶりを見せている点に関しては、
各クラブのファンは非常に満足しているだろうし、
その中心に仮にミスリンタート氏という
立役者が居るとすれば、
この大掛かりな移籍劇について彼は非常に賞賛されるべきだと思う。

だがここで話は大きく切り替わる。
この転換については、
筆者が何故ここまでしてミスリンタート氏を一方的に
持ち上げようとするのかという点とも関わっているのだが、
上記に述べた移籍劇の精査は、
ほとんどドルトムント時代のミスリンタート氏の実績そのものの
反映のようにも受け止められるからだ。

つまりそれは、選手の望む出場機会を適正化する、ということだ。
そしてもう一つ付け加えると、
適正に与えられた出場機会の中で選手を成長させ、
選手の評価額を押し上げるということだ。

モウリーニョは中田英寿氏との対談の中で、
「いい選手は悪いパスを受けても良いパスを渡せるけれども
良くない選手は良いパスを受けても悪いパスしか渡せない」、
という意味のことを言っている。
クラブ間の選手の移籍についても同様のことが言えるだろう。
良いクラブは常に選手を成長させ、
パスを受けたときよりもパスを受け渡すときのほうが、
チームにとって好ましいようにボールの質を変えられるのである。

少し話が逸れたが、近年のドルトムントが残した仕事というのは、
上記に述べたことのほぼ完全な置き換えだと、ほとんど
即座に納得していただけると思う。
他ならぬ香川真司こそが、スヴェン・ミスリンタート氏の
最も印象に残っている仕事だと彼自身言及しているし、
ロベルト・レヴァンドフスキ、ムヒタリアン、オーバーメヤンなどの
現在のワールドクラスが、
ドルトムントに加入した当初から今と同じ
評価を受け取っていたのではないことは周知の事実だろう。

ここで話は2つに別れる。一つは、今、上に述べたことと
ファイナンシャルフェプレイの関わりであり、
二つ目は、そのこととも直接関係するが、
近年特に顕著な移籍金額の高騰と、
完全に売り手市場に回ってしまったブンデスリーガの置かれた
立ち位置についてである。

ブンデスリーガのことは後に置いて、まずはファイナンシャル
フェアプレイに関する議論に戻ろう。
何故かと言うと、わたしはドルトムントファンだからだ。
はじめにブンデスリーガのことを論じると
取り留めがなくなってしまう可能性があるし、
何よりファイナンシャルフェアプレイ(以下FFP)に関する議論は、
論理的に移籍金額の高騰の問題とも直結する。

真っ先に言っておくと、
FFPとは世界各地のクラブ内の「財政」の健全化を目指したものであり、
「戦力」の均衡を目指したものではない。
この辺りが、たとえばメジャーリーグ機構の「ぜいたく税」の
ような概念とは違う。
後者は、どのリーグのどのチームに関しても規定は一定であり、
約束された年俸額の上限をチームが超えた場合、
超過分を金として支払うことで、野球機構全体に還元するという仕組みである。

他方、FFPとは、各クラブの「財政規模」に応じ、
支出と収入が主に選手間の移籍と選手自身の年俸において
適正であるかを判断する指標だ。
つまりこの場合、そもそもFFPの規定自体が、
クラブ自体の財政規模に拠って上限額を変動させられる。

結論から言うとこの仕組は、クラブに対する親会社からの
運営資金の極端な外部注入を禁ずるものだろう。
この規定がなかった場合、
極端な話、1兆円の補強資金を持った親会社が存在すれば、
たった一年で弱小クラブをプレミア優勝に導くことも
可能になってしまう。

もちろん、規定違反を是認してまでクラブ運営を志すような
親会社がいればそれはそれで可能なのかもしれないが、
現実的ではない。
何が言いたいかというと、FFPという規定の中で
クラブの運用できる選手獲得資金と選手年俸が決まっている場合、
「違い」を生み出すためには、
今現在居る選手でチームとしての総合力を高めるか、
「安く買って高く売る」ために、
選手自身を成長させるしかないわけだ。

ここに、記事の冒頭で述べた一連の移籍劇との関わりがある。
FFPの規定に合致するためにクラブ側に出来る最大限の努力とは、
年々移り変わる選手の通過点として、
クラブ自身が選手に適正な機会を与える、という一点に尽きる。
繰り返しになるが、
この点においてミスリンタートとドルトムントは
ここ数年ほぼ完璧な仕事をした。
ただ、ミスリンタートのアーセナルへの流出は、
上に述べたことのうちに一括りにできない様々な問題を孕んでいる。

そのうちの代表的なものが、
近年のプレミア勢による選手買い取り攻勢だろう。
パリやバルサ、レアルなどの一部のクラブを除き、
この攻勢に耐えられるリーグやチームは今のところ皆無である。

前述したとおり、FFPはクラブ間、リーグ間の
戦力の均衡を意図したものではないので、
放映権の売却やグッズ売り上げなどの収入によって、
「健全な」財政基盤を持つクラブによる移籍交渉は、
まるで禁じられるはずもないし、
「フェアな」ものとして是認されている。

…………
だが何故ここまでプレミア一強になったのだろう。
そのあたりのことは厳密には私には分からない。
商売がうまいんだよ、と言われればそれまでだが、
初めにアブラモビッチのような富豪による
資金の外部注入があり、
選手の年俸の高騰なども厭わずに各クラブが
「経営努力」をした結果なのだろうか。
現状でそうした年俸額を払えているクラブがあるのも事実なわけで、
では何故、同様のことをドイツやイタリア、スペインのクラブが
行わないのか、と問うことが正しいのだろうか。
厳密にはわたしには分からない。
…………

ともかく、ここ数年、イタリアのみならず、
ドイツやスペインのクラブまでもが、
完全な選手の売り手市場になってしまったことは疑いようがない。
「完成された」選手はみなプレミアに行く。
選手のみならず、
グァルディオラ、モウリーニョ、クロップ、コンテなど、
指導者も皆、海を渡ってしまった。
その航海路の最後に名を連ねたのが、
選手でも監督でもないスカウト責任者のスヴェン・ミスリンタート
というわけだ。

この事態をどう受け止めるべきなのだろう。
ミスリンタート流の本当の意味での”FFP”を、
プレミアにも根付かせてくれるのを期待するべきだろうか。
(実際彼はムヒとオーバの移籍については極めて優れた仕事をした)。
それとも、アーセナルではアーセナル流の彼のやり方が
模索されるのだろうか。
ただ、ここで問題にすべきなのは、
むしろ選手を売れば売るほど財政的には潤っていくはずの
売り手市場としての他リーグの取り組みの方である。

たとえば、ドルトムントを例に取ると、
仮に各種ボーナスを含めた満額の移籍金を受け取ったとして、
デンベレの移籍に関して190億近い利潤を出したことになる。
また、オーバメヤンの売却でも70億近い額を受領したはずだ。
その金はどこへ行ったのか。

況してシグナル・イドゥナ・パルクは狭いスタジアムではないし、
フンメルスやムヒタリアン、ギュンドアンなどの
若干買い叩かれた感のある移籍に関しても
それぞれ移籍金を受け取っているはずだ。
その金はどこへ行ったのか。

ミスリンタートに関しても、彼とツォルクやヴァッケとの仲は
円満だったことも承知しているが、
高額な年俸を約束して、残留させることも可能だったはずだ。
だがクラブ側はそれをしなかった。
この辺りは本人の意向も絡むことなので難しい問題ではあろうけれども、
近年のドイツのクラブの振る舞いなどを見ていると、
ある種のクラブのダイナミズムとして、
仮に可能ではあったとしても、
選手やスカウト、監督、コーチ陣などへの報酬の高騰を
望んでいないのではないか、とすら考えられる。

敢えて海外のクラブと張り合うのはバイエルンくらいで、
そのバイエルンも、
ある種の”フェアプレイ”を遵守し、
安い金でドイツ国内の下位チームから選手を引き抜く、
という移籍しかほとんど実現させていない。
再度言うと、
放映権やグッズ展開、選手の移籍なども含め、
他の国のクラブが「プレミア化」するのは、
必ずしも不可能なことではないのだと思う。
だが実際には、
そういった指向性を持つ他国のクラブはパリやバルサ、レアルなど
本の一握りで、
ドルトムントを始めとした多くのクラブは、
クラブ経営そのものをそうした「巨大な」資本と経常収支の元で
実行するのではなく、
ある種の伝統的で「適正な」バランスの下で運営しようとしている
ように思える。

仮に十数年先から歴史の転換点を探ってみるとして、
今、この瞬間がまさにその岐路なのではないか。
今後、ドルトムントやシャルケを始めとした「中堅」クラブが、
ここ数年と同様の補強と経営方針でクラブを運営していこうとした場合、
間違いなくリーグ全体として、唯一一強のプレミアに
飲み込まれてしまうだろう。

…………
誤解を避けるために言うが、
筆者自身はむしろ、ドルトムントが表現していたここ数年の強化方針、
将来有望株、ワンダーボーイばかりを世界中から集めるという
試みに心から魅せられていた。
だが、ドルトムントのみならずドイツのクラブ全体が
国際舞台で競争力を失っていく過程で、
このままでいいのだろうか、という疑念が少なからず湧いてきた。
…………

その象徴が、スカウトであるミスリンタートの移籍
という事態なのである。
彼がこの先アーセナルでどういった仕事をするのか、
ドルトムントがこの先どのようにチームを立て直すのか、
筆者自身見全く通せていない。

ただ、ある種のサッカー界の大転換が、
ネイマールやデンベレ、コウチーニョの移籍劇の影で
起こっていたことには注目しておきたい。
少し過大評価するようではあるが、
ミスリンタート氏の今後のアーセナルでの仕事と、
ドルトムントの今後の補強方針とチーム構成の中にこそ、
世界のサッカー市場の動向そのものを
決定づける「逆説的な」主要因があるように思われる。

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