海外PC RPGのクエスト構造(人称視点とルート分岐)

CRPG関連

この項では、人称的視点とゲームシステムの関連性を、RPG内のクエスト構造に焦点を当てて論じていきたいと思います。Elonaに関する記事から飛んできて頂いた方にはまた引きになってしまって申し訳ないのですが、この項の前段階として
D&D系のRPGに見るアラインメントの区分の再編成
という記事も書いておりますので、そちらを読んで頂けるとこの項の理解の助けになるかと思われます。回りくどいようですが、それでも暇を持て余していて、興味のある方は続きをどうぞ。

と、始まった矢先にさらに前置きをしますと、そもそもこの記事はゲームジャンルごとの「分類」を明確にしようとして書かれた記事ですので、わたしは、ここで言及するクエストの構造のみならず、各ゲームごとの、アイテム収集の主眼となる愉しみ方、及び魔法の効果範囲の有用性、スキルの効果なども含めて、(上のリンクで示したアラインメントに関する記事の中の分類と同様に、)あらゆるゲームジャンルのゲーム内要素を、二つの平行する等辺三角形の六つの各頂点に割り振って図式化することが可能だと考えます

(下記リンクの色相表参照)。

たとえばドイツ産RPGのRISENを例にとると、一人称的なものとルート分岐の中間に位置していることがお分かり頂けると思います。ここで人称的なゲームのカテゴリーとクエストの展開を一色汰にして並置したのは、それぞれに分かち難い関係性があると思われるからです。

というのも、「ファーストパーソン」と一般に呼ばれる一人称的なゲームジャンルに於いては、わたし自身が「茎的」として定置しましたマップのランダム生成を基本とするローグライクゲームのような本当の意味での偶然性を伴う事態は起こり得ようがないからです。

一方で、ストラテジーやハック&スラッシュに代表されるような見下ろし型の三人称視点は(仮にゲームの進行上選択しなければならないステージの枝別れがあったにせよ)、倫理的な規範を含む本当の意味での「選択」を迫られる構造をもちえません(なぜなら、わらわらと際限なく現れるように見える敵は、善悪の区別なく初めから殺される運命にあるからです)。

また、俗にオープンワールドと呼ばれる広大な空間を緻密に構成したRPG世界に於いては、必然的にクエストの構造は自分の(倫理的ではない)単なる選択によって順序立てて枝分かれさせられた各々の末節の結果の異なるだけの「ツリー状」になります。

すると、二人称的で平面的な画面の上で、現れる女の子やおっさんから依頼を受け、或る意味で受動的にお話を進行させていくアドベンチャー的なカテゴリとは、そのオープンワールドのジャンルは相いれないこととなります。よって、ある程度近親性のあるジャンル同士を並置し、わたし自身の提唱する対立項と相反しないように割り当てますと、上記リンクの色相表のようになった次第です。そこで各項目の明確な区分はどのようなものかと改めて云い直しますと、一人称視点とは、自分がそこに居る感覚、を自分がそこに居て何かを感じている主体のイメージなしに描写するジャンルだということができると思います。

次に、二人称視点とは、同様にキャラクタの後ろ姿に当たるイメージは画面上に無いのですが、それは主人公が画面上にたちこめる霧や空気感、空から滴り落ちてくる雨などを直接感じ取る位置に立っているというわけではなく、むしろこちら側に、それこそ実際のプレイヤーが座っている位置にまでキャラクタの位相が移り、ノベル系のアダルトゲームがそうであるように画面内の世界と画面外のプレイヤーが同調するような感覚を指します。

さらに三人称視点とは、前述したようにプレイヤーキャラクタがほとんど感情移入可能な主人公とは云い難いほど世界の中に他のNPCとともに並置されており、或る意味での主体性とか、主体に伴った倫理感とは無縁なところでゲーム性の進行していくジャンルを指します。

一方で、茎的(リゾーム)、ルート分岐、ツリー状、と私が定置しましたクエストの構造は、今まで述べさせていただいた人称視点の区別とそれぞれ相いれない対極的な特徴を持ち、他方で混淆可能な各ジャンルの合間に設定されることとなります。

まず茎的とは、主要となるマップの生成がクエストの流れに影響されず、ひたすらダンジョンに潜っていくローグライクRPGのようなゲームを指します(それは必然的に、自キャラと敵キャラの画面上での区別が難しいストラテジーやハック&スラッシュのような三人称視点、及び立体的な空間性を持たずプレイヤーの側に感性の押し出されているアドベンチャーとの親近性を持ちます)。

次にルート分岐とは、結局集約されていくメインストーリーのエンディングのパターンは限定されているのですが(どのようなCRPG製作者も無際限に物語を生成するわけにはいきませんので)、そこに至る過程が、複雑に絡み合い、一見、話そのものの道筋を自身で決定しているような錯覚をプレイヤーに与えるようなものを指します。

逆にツリー状とは、ちょうど幹から伸びた枝がさらに分枝していくように、自身でクエストをこなす順番、その末節の行き先は決定できるものの、一度幹から切り離された枝は再び絡み合わず、ただ独立して伸ばされているのみの状態を指します(前者のルート分岐は体感としてのプレイヤー視点を持つ一人称視点と、クエストの依頼者からの倫理的な選択を常に突き付けられる二人称視点の中間に位置し、逆に後者のツリー状の構成は、権力の構成をさかのぼるという意味で一人称的な視点との共生関係を持ちますが、クエストの依頼者が引き受ける者なら誰でもよいというスタンスでプレイヤーを勧誘してくるという意味で三人称的な視点の脇に据えられています)。

改めてクエストの構造に話を戻させていただきますと、それは根(ルート)と幹(茎=リゾーム)と枝を持つ一つの木(ツリー)にたとえられると思います。一般に、CRPGの王道と云われる作品の多くはその木(ツリー)の外観によってしかそれぞれのクエストの構造を把握されないことがほとんだと思います。しかしながら、真に優れたRPGに於いては、仮にそれがオープンワールドと呼ばれる世界の只中であったにせよ、ただ単に各地の権力者の下を来訪しお使いを頼まれるという単調な図式のみではなく、意図的に各々のクエストの過程に巻き込まれていくタイミングをコントロールすることで、プレイヤーの選択が世界の様相そのものに変化を与えているような錯覚を抱かせる「ルート的な」構造が見られます。

そして、各々のプレイヤーがそれぞれ異なった方法でたどり着いた物語という木の幹に当たる部分は、ここがあらゆるゲームにとって最も肝要なところかと思われるのですが、単なる枝をさかのぼるための幹では無く、たとえばローグライクゲームに代表されるマップのランダム生成を主眼としたゲームに見られるように、訪れるたびに起こりうる事象を様々に変える「リゾーム状の」ものでありうるということです。

ここをいかにして演出するかという点が、少し説明の順序が逆になりましたが、有象無象の敵がわらわらと現れる三人称視点と、平面的な視点がマップ生成の際に採用されるという意味で二人称的な描写との間に位置付けられるリゾーム状の構成です。

以上述べましたように、クエストの展開されていく構造と、プレイヤーの人称的な視点は、(あくまでも私の図式に於いてですが)分かちがたく結びあわされ、それぞれのゲームジャンルの六つの極として存在していることになります。

漸く、ここへ来て各RPGタイトルごとの分析に話を戻しますと、ドイツ産RPGのRISEN、バルダーズゲートなどがルート分岐の系列の代表的な作品だと思われます。一方で、エルダースクロールズやフォールアウトシリーズを始めとした、俗にオープンワールドと呼ばれる作品群が、当然のことながらツリー状の作品の代表例だと思われます。そして、エローナやマウント&ブレードなど、俗にサンドボックスと呼ばれる作品群が、茎的な系列の作品の代表例だと思われます。

人称的な描写の形態については、それぞれ既にあてはめていたFPS(一人称)、アドベンチャー(二人称)、ストラテジー(三人称)などの各タイトルが対応してくると思います。勿論、各々のゲームタイトルの分類については複数の要素を含んだ折衷的な作品の多い昨今に於いては異論も相当数頂くことになるかと思いますが、わたしがここで言及したいのはまた別の事です。

それは、この項の冒頭で述べましたように、今、ここまで述べてきましたクエストの構造と、前の項で述べさせていただきましたアラインメントの関係が、図式上正確に一致するのではないかという視点です。

たとえば、エルダースクロールズに於いては、クエストは、各勢力の信頼を徐々に勝ち得るために存在しています(そのため、命令の形はその都度変えられるにせよ、世界のあちこちをたらい回しにさせられるお使いクエストが頻発するのです)。勢力に対する入り口は各々一つしか用意されていませんから、自ずと、クエストを請け負った先での僅かな選択しか与えられていないツリー状の構造を、オープンワールドの世界のクエストは持つことになります(ローフルニュートラル)。

逆に、一般的なテーブルトークRPGを模したCRPGに見られるような個々のクエスト、及びメインクエストへの導入に対して解法を幾つも用意された作品群に於いては、その解放の為のスキルや経路の多彩さが、そのままルート的な分岐を自分で選択しているような錯覚を促し、権力関係に依存しながらも、その権力間で自身がうまく立ち回っている印象をプレイヤーは持ちます(ニュートラルイービル)。

一方で、ダンジョンに無限に生成されるモンスターを無作為に殺していき場の制圧者になることを宿命づけられたローグライクゲームの主人公は、必然的に秩序維持を無視し、且つ即自的に秩序を保つローフルイービルの属性に染められていくでしょう。

他方、人称的な視点による区分は、程度の差こそあるにせよ、クエストに巻き込まれずに、何らかの形で場所と場所の間を進行している時の移動の、プレイヤーキャラクタの主観によることから、グッドの属性、即ち一人称(カオティックニュートラル)、二人称(カオティックグッド)、三人称(ニュートラルグッド)の各アラインメントに支えられていることとなります。

一人称視点は、他のNPCの視点からまさにその視点の主体に対する絶対性に於いて区別されていますから、そこでは個人の、多数派に還元され得ない感じ方が保持されることになるのです。

また、二人称視点に於いては、必ず目の前に誰か(女の子でもおっさんでもよいのですが)依頼者が現れ、その個別の依頼者の要望をかなえなければならないという点に於いて、「グッド」の特性を持つ必要があります。

さらに三人称視点に於いては、少数派であることが常に求められ(繰り返しになりますが、敵は無際限に沸いてきます)、それを「寡勢でありながら」打ち破ることこそが求められているという意味で「ニュートラル」グッドの特性の保持者である必要があるでしょう。

この点で、三人称視点とローグライクゲームのランダム生成をもとにした茎的な構造はかなり判別しにくいのですが、常に劣勢を強いられるように設定されている(もしくはそうなるように自分で縛る)ハック&スラッシュやストラテジーの構造と、必ずしも強敵ばかりではないダンジョンの階層を自由に行き来できるエローナのようなゲームとの違いを思い起こしていただければ、その二つのジャンルの帰属するアラインメントの相違がより良く理解頂けるかと思います。

私の著述は、常に本来記載するべき項の目的から逸れていく傾向にありますので、再度初めのクエストの構造とアラインメントの関係に話を戻しますと、それは、ここまで述べてきましたゲームジャンルの区分とアラインメントの関係も含めた、全体としてのクエストの構造の決定のみならず、いわゆるメインクエストと呼ばれるものの展開までもが、実はそれぞれのゲームタイトルのプレイ感により自ずと求められるアラインメントの規定によって予め決定されているのではないか、という、法外で、ナンセンスに聞こえるかもしれない新たな類推によって導かれていくことになります。

ただ、この点を検証するとなると、各ゲームジャンルごとの少なくないネタばれを含むことになりますから、クエストの展開そのものの分析は別の項に譲りたいと思います。ゲーム業界との何のかかわりもない筆者の記述が、一見無関係に見える各ゲームタイトルごとの諸要素の分類によって、必然的に、プレイヤーへの印象を予め決定されているという一つの視点と図式によって貫かれていることをここまででご理解頂けていれば幸いです。

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