RISEN 3 各島の風景を楽しみながら、日本語化とシリーズ攻略を振り返る

CRPG関連

Drakensang、を再プレイしていても思ったんですが、やっぱりドイツ産のゲームのグラフィックは素晴らしいですね。RISEN3はゲームとしてはパッ、としない評価を受けているとは思うんですが、ここでは逆にそのRISEN3の風景にスポットを当てながら、翻ってRISENシリーズ全体の評価をしてみたいと思います。

別記事でも書いたんですが、このゲームの海面の波の表現は、PCgameのグラフィックのうちでも一、ニを争うほど優れていると思います。

すいません、静止画では伝わらないっすね……。

また、フォトリアル感とテクスチャの手書き感の融合としても、各オブジェクトの表面は完璧な出来と言えるのではないでしょうか。

他の、現代を舞台にしたゲームでもっと「リアル」なものはあるだろうし、一方でもっとドリーミーでファンタジックな色使いもあるとは思うんですが、ここまでヨーロッパの中世的な世界観を再現しながら、かつ現代的なカメラアイ・テイストの映像効果とを情景の「枯れたバランスで」重ね合わせられているゲームは、2018年現在から見ても見当たらないでしょう。

Drakensangと同様に、常に朝焼け、常に夕景、のGodray,もしくはSunspriteは、やはりヨーロッパ系のゲームに特有のものなんですかね?

勿論、OblivionやSkyrim,The Witcher 3 などでもMODなどを使えば同様の効果は模倣できますが、そうしたMOD類をほとんど許容していないRISENシリーズは、Lightning MODやリテクスチャ、リシェイドの持つ効果を、予め実装しているとすら言えるほどです。

で、ここからはこの記事が何故RISEN3の風景から始まるか、とも繋がるんですが、私自身はやはりこの風景群をHUDとPCのおっさん抜きでスクリーンショットにしたいと思ったんですね、当然ながら。

その動機の中で、RISEN3のコンソールコマンドなんかもググってみました。ただこのゲーム、ゲーム内デバッグモードがデフォルトでは禁止されているっぽいですね。

ま、それはそれで仕方ないとして、ここからはそのRISENそのものの魅力、の話に移っていきたいんですが。上でRISEN3は風景が超美しい、と書いているんですが、それはですね、敢えて書いてるんで、やっぱりゲームとしては三作の中で最も劣りますね。2は2で、2なりに1にはなかった要素を付け足しているとは思います。

はぐらかすようですが、上の画像は2のじゃなくて3のステータス画面です。そう、ほとんど同じなのです(笑)。且つ、2で探訪できた各島々のロケーションもそのまま残されている部分もありますから、そう云った意味で2と3の関係というのは、全く別のシステムを搭載した続編っていうより、ちょうど前記事で書いたDrakensangとDrakensangTRoTのような、システムを流用した、ナンバリングの伏せられた巨大DLC、みたいな関係ですね。

まあそれにしても、システムが殆ど変わらないからこそ、逆にグラフィックの作り込みが凄くなった、とも言えるわけで、この辺は本当にDrakensangとDrakensangTRoTの関係に似ているかもしれません。もしかしたら、今後もそうした、システムとして代り映えしないほど、返ってグラフィックの作り込みは増す、法則に当てはまる作品が出てくるも!? なんて類推させるほど、ドイツ産の2つのタイトル、RISENとDrakensangには辿った経過上の共通点がある気がする。

で、どんどん話が横滑りしてしまうので、本題のRISEN1の魅力、についてのことにもう一度戻りたいと思います。その魅力とはやはり、この何とも言えないサバイバル感覚にあると思います。

冒頭から真っ暗闇で土砂降りの雷雨。いや、キングスフィールド2か! っていうね(笑)。この、海岸に一人で何の脈絡もなく立たせられてる感覚っていうのは、本当に過去のフロムゲーをすら思わせますね。

ドッジ命、の戦闘システムからなぞらえて、超シンプルなデモンズソウル、という評価を一部で受けていた本作ですが、コマ送りのようなプレイヤーキャラクタの歩き、NPCのカクカクした顔グラフィックなどは、むしろ上記キングスフィールドの方が妥当な表現とすら思える。あの、このゲーム、本当に最後まであるんですか? っていう素朴な疑問を作中の絶妙なバランスで補っていく、RISENとはそんなゲームでもあるでしょう。

で、唐突にこのゲームを分類しますと、私個人はこのゲームを一人称、とルート分岐の中間として提示させて頂いたわけですが、(アラインメントとしてはカオティックニュートラルが色濃い)じゃあそのカオティックさを支えている原因は何かと言うと、これはELEXの項でも書きましたが、野生動物が強い、という点ですね。

サイドステップする狼の恐怖、っていうのはどこかの名無し様が仰った表現ですが、
はじめの雷雨の画像に戻りますと、まあサラは別として、いきなり土砂降りで真っ暗ですからね。その中を初めの空き家まで進んでいく山道はマジで恐怖でしかない。所々にあるかがり火を頼りに歩く、途中に出会うスカベンジャーはトラウマレベルでしょう。

( ↓ 直下には、各勢力に関するごく軽微なネタバレが含まれます)

で、話をさらに勧めていくと、
物語自体はプレイヤーキャラクタ個人の
「カオティック」な感覚と、
所々で待ち構える野生動物との戦いを基調として、
異端審問官
(ローフルイービル)、
修道院
(ローフルニュートラル)、
沼地に住むドンの集団
(カオティックニュートラル)、
ハーバータウンの人々
(ニュートラルイービル)、
海賊の娘のパティ
(カオティックグッド)、

などの、諸勢力の間を行き来することで構成されていきます(それぞれに与えたアラインメントの区分はあくまで著者の主観によるものです)。

唐突にBaldur’s Gate風のアラインメント区分をしたわけですが、私個人の考えるクエスト構造とアラインメントの対応関係に即して言うと、やはりRISENの特徴というのは、ルート分岐的な構造、自分自身の選択によって諸勢力の動向に変化が生じることでしょう。

上ではBaldur’s Gateを引き合いに出しましたが、2でアムンの都市に張り巡らされていた諸勢力の動向と同様に、このRISEN、ではハーバータウンを中心にどの勢力に加担するか、という分岐が起こることになる。

ELEXではドームシティ、
Pillar’s of Eternityではデファイアンス・ベイ、
Fallout NVでは当のニューベガス、
など、
都市部に入った途端に幾つもの勢力の思惑に飲み込まれていく、というのは最早TRPGの定型に近いですが、何か、大元の元ネタがあるんですかね? ちょっとそこは分からないんですが、ともかく、RISENの場合はハーバータウンでの駆け引きがやはりRPGとしての一つの醍醐味、になっているでしょう。

↑ 風景の枯れた美しさという意味では1の時に既に完成されている

ただ、RISENの場合に一つ異なっているのは、その区画化された領域内でのやり取りですらも、ジャングルで囲まれた周りの環境と同様の、「カオティックさ」に満ちあふれていることです。環境音デカめ、雨強め、の冒頭から続く緊迫感が、都市部の中にまで反映されている。

この点は、クエストの解放の多彩さ、というCRPGが持ち合わせるべき条件のうちに端的に表れています。たとえば、港沿いの尖塔に捕われている囚人と話せ、というクエストがあったと思うんですが、そこでは、そこまでにプレイヤーキャラクタの持っていたスキルの種類に合わせ、

見張りから鍵を盗む、
見張りを何とか説得する、
見張りを殺す、
見張りの目を盗んで塔の傍に忍び寄り、
解錠スキルで鍵を開ける、

などのヴァリエーションのうち、自分の好みに合わせてどれを選び取ることも可能なわけです。この選択肢の幅、というのが、やはり自由度を感じさせるためのポイントで、まあ実際にはどれを選んでも結局は幾つかの結果につながる他無いんですが、その過程をプレイヤーは、自分で選び取った、と感じることができる。

で、繰り返しになりますが、その自由度の本当の大元は、ほとんど舗装されていない道ばかりの、このカリブ海だか地中海の果てだかの、絶海の孤島、という舞台設定そのものにある、と思います。

これは本当に、ELEXなどとも繋がるんですが、レベルドリストに応じ、どこへ行ってもいいが、どこへ行っても殺されうる(主に動物か化物に)。そこで人が死のうと、離れ小島のことであれば、誰も気にする余地がない。

この「孤島」感覚、サバイバル感覚は、それこそファークライやFallout、最近で言えばPUBGなどにも繋がってくると思うんですが、そこで感じられる死と隣り合わせの自由度が、ハーバータウンという街中にも行き渡っている、のを、プレイヤーは各クエストの解放の多彩さとともに感じることになるでしょう。ですので、あの、土砂降りの雷雨の海岸に打ち捨てられていた冒頭の時点で、既にこのゲームの本質は提示されていた、とも言えると思います。

敵が延々と追ってくる、というこのゲームの性質を利用して、敵同士を鉢合わせさせたり、良質な装備を持っているNPCを敢えて襲わせる、という「戦略」も、私はOblivionに先立ってこのゲームで会得しました(笑)。オウガを誘導しすぎて、ドンの集団は壊滅し掛けたりもしたんですが、何にしても、このゲームの自由度は相当なものです。

後のELEXではジェットパック、として結実する移動の方法も、既にRISENでは一時的ではありますが「空中浮遊」という魔法として実装されています。また、オウム貝になる、テレキネシス、など、ダンジョン内での謎解きに必須な魔法や巻物の数々も、普通に村人を出し抜いたりするときにも使用可能なわけで、TESシリーズとはまた別のサンドボックス感、もこのゲームにはあると思います。

と、以上見てきましたように、このRISENというゲームの最大の特徴は、やはりELEXと同様に「カオティック」だということですね。

且つ、このRISENの場合は、孤島というシチュエーションに応じ、島全体が独特の狂気に蔽われている。シリーズを通したヒロインキャラであるパティの言葉を借りれば、
「この島に住んでいる人間は、もしかしたらあなたとわたし以外みんな狂っているんじゃないかしら?」と云った具合です。

マッシュルームの側か、
人間の側か、
そのどちらに付くかを迫ってくる工夫の二匹の山羊のパラドックスなど、おそらく印象的なキャラクタを抜き出そうとすれば枚挙に暇がないんですが、残念なことに、この狂気はナンバリングを重ねるごとに徐々に失われていきますね。

↑ グラフィックはやはり素晴らしい進化を遂げているんですが……

尤も、前述しましたように2に関しては、まだまだシステム上の挑戦、斬新さを伴っていて、3と殆ど変わらないUIの既に実装されたステータス画面において、魔法の代わりの「呪文」としてのブードゥー、武骨な剣戦闘の変わりとしてのフェンシング、盾持ちの消極性を廃したが故の銃や投げナイフなどの隠し武器各種、中世的で大陸的な世界観に抗う、大航海時代の絶海の孤島、における海賊RPG、という、何故そこまで世間に抗い続けなければならないのか、と、ユーザー側が気遣わなければならないほどの反骨精神に満ち溢れています。

勿論、一枚絵のマップから、小分けされた島単位の攻略に移ったこともあり、さらに2から3への移行は巨大DLC程度のものに過ぎないんですが、逆にそれが一番始めに書いたように、システムが進化しない故のグラフィックの激的な向上、といういびつな発展を遂げてもいる。

↑ 船が消えてしまうバグに遭遇。この辺のシュールさは引き継がれたままか。

そう云った意味で、この3作に渡るRISENシリーズというのは、偏屈ではあるが王道のTES、優雅である一方、一作目の毒々しさを失ったDragon Ageに対しての、敢えて選び取られた、メインストリームに対するオルタナティブとしてのRPGの可能性を提示し続けてきた、とも言えるはずです。

で、その反骨精神、B級感覚は再びELEXにおいて取り戻されることになる。のですが、流石にあのRISEN1にあったゼルダ感、謎解きとアクションRPGの両立、というテーマは捨て去られたままでしたね。ELEXにおいては暗号解読の仕組みも単なる算数になってしまっていましたし。
↓下図参照

まあ、それでも作品全体としてはRISENに劣らぬ意欲を保ち続けている、Piranha Biteを十分に感じ取れる出来ですが、やはり、狂気度においてはRISEN1に劣りますよね。で、その狂気度の源は、ホント、繰り返しになりますが、絶海の孤島での異端審問会、というテーマを数多のRPGに先立ってあぶり出した、点に尽きると思います。(蝿の王・感覚、というかね……)

Ende、の方がデフォルトの、死にゲー、マゾゲーとしてのドイツ産Dark souls の兄弟、
本当にここまで来ると、Drakensangの風景群の美しさやSacred2の特異なビジュアル感覚も含め、ドイツ人自体の感性、ユーモアの感覚まで肯定したくなる、(まあ流石にドイツ人全体がRISENのNPC的ではないでしょうが……)一人の日本人をここまでリクライニングチェアー上で仰け反らせてくれる、そんなゲームがRISEN1であることをここに表明しておきたいと思います。

というわけで、最後に、そんなRISEN1にこれから挑戦したいと望む冒険者の方へ、(かなり無理矢理ではありますが)、ハーバータウンの見張りが呟く台詞を引用して、この項の結びにさせて頂きます。

「Good luck, you’ll need it.」
即ち、
「幸運を祈る、お前に必要だろ?」

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