「ドメイン転生」を再解釈した教会司教「サンドール・ギュスナー」

Mimesis of Frautal

VR1070年生まれ 男性

サンドール・ギュスナーは、イスと西方のミラジ教徒の圏域との国境沿いの村に生まれた男性である。ミラジ教の信仰の基本理念である「ドメイン転生」とザン教の信仰を結び付け、レフトフォールチャーチの基盤を作り上げた。

ギュスナーの左落教会成立のための功績の評価に移る前に、まずはフロウタールにとっては異教徒であるミラジ教の「ドメイン転生」の信仰と、対峙するザン教の側の信仰の外形をざっくりと俯瞰しておきたい。

まずフロウタール全土で一般的なザン教では、そもそも生者は二度と現世には戻ってこない、とされる。空間神と時間神の双方の神性を原罪として表現した後、それが十分に行われたならば魂は完全に消失するし、それがまだ十分でないなら魂はハングヘッドアイランドに送られ、それぞれの神性の表現のための相応の賦役を課される(死者の図書館、に関する別記事参照)。

他方、ミラジ教の「ドメイン転生」という概念に於いては、生前の人間の精神というものは、、という下方に向かっていくにつれてそれぞれ分岐する六つの階級に分類され、その生まれついた性質、末端に定置された個人としての行動を示した末に、現在の生を「前世」とする新たな生命に向かって死んでいく(その際に新たな「ドメイン」への転生が起こる)という、魂の輪廻を前提とした世界設計を施行する。

双方を比較すれば、ザン教の信仰とミラジ教の信仰が、共通の世界理解を伴いながらもむしろ真逆に近い様態を持つことがご理解頂けると思う。ただ、イス帝国が度重なるミラジ教徒からの侵攻を受ける過程で、この2つの宗教は双方の信徒の信仰への配慮とともに、「共通した」理解の部分の方がより強調して取り出され、妥協点を模索されていくこととなる。その混淆の試みの先端こそが、サンドール・ギュスナー率いるレフトフォールチャーチのムスク、というわけだった。

過去にフロウタールの「六つの原罪」とミラジ教の「六つの階級」を接続する試みは幾らでもあった中で、では何故、左落教会のみがイス帝国内において既存のザン教を凌駕するほどの信徒を獲得することになったかと言うと、それは一重に、「ヴィジョン・クライシス」というフロウタール人民にとって最重要のイベントを、ミラジ教の信仰と矛盾しない形で再解釈したことによっている。

1200年に一度、世界に存在する知識と個人の全てが消失し、空間神と時間神の優位性が入れ替わる、とされるザン教のヴィジョン・クライシスは、サンドール・ギュスナーによると、ミラジ教の側のドメイン転生、が一即多に行われるための間断として捉えられるのだと言う。

ソーシア・ノウが危機を脱してからの1200年の間、生命は何もそっくりそのまま消失してしまうわけではなく、逆に、ミラジ教の主張するように絶えざる輪廻を繰り返すのでもなく、転生にも一つのリズムがあり、魂が新たに生まれ変わるのには一定の長い年月が必要とされ、その区切りを示すのが、ザン教においてヴィジョンクライシス、と呼ばれる出来事なのである。

この、シンプルなようにみえて双方の世界解釈を同時に取り入れた信仰接合の試みは、特にイス帝国内の、長寿や死後の延命を願う金持ち連中によって強く支持された。

というのも、空間概念と時間概念以外の全てが消失し、またそれまでとは全く無関係な新たな生命が再開される、というザン教の思想は、一部の人間にとっては余りに刹那的であり、一時的に魂をプールしてどこか別の時代に生まれ変わることができる、と考えられる主張は、ザン教の信仰を保持したまま、現世に富を積み上げて怠惰的に生きるのに都合が良かったようなのである(上記のような事情から、左落教会への信仰は主にイス帝国のプラトーにおいて商人階級を表すアフォルムの市街にいち早く浸透していった)。

一方で、それらの経緯とは無関係に当のサンドールが信仰の基盤として話すことには、この、ヴィジョンクライシスによって急激なドメイン転生が起きる、という考え方自体は、モス山中の渓流の只中で、海岸沿いに見えるドーラ・グインの灌木地帯を遠望しているときに「発見」されたのだという。

川がせせらぎ、水が弾け、鳥の声のする叢で、サンドールはかつてのアナイシス・ギルとチュードアの国家の故事を思い出し、何事にも移ろわぬものは無く、それでも新たに生起する命の力強さを耳にした気がした、と語る。そのまま、巡礼然として薄汚れた体を音の中心にあった滝に没入させると、彼は破裂と円環を繰り返す水飛沫の波紋と溶け合ううち、そこに何らかの「巡り合わせ」があることを確信するに至る。

そのときに得た知見こそが、ヴィジョンクライシスをドメイン転生と同じこととして捉える「インゲマション」という概念なのである。ここまで来るとあまりに抹香臭くなり、耳を貸す者はごく限られても来る。実際の所、特にこの滝の下りは、熱心なザン教の信者からは痛烈に批判され、今、現在を体に浴びせかけられる水の強度によって感じられる滝行を、輪廻と結び付けることなどは愚の骨頂、とあからさまに罵倒されている有様なのである。

ただ、この見解の相違の中に汲み取るべきなのは、イス帝国の領土内で、この、ミラジ教の影響を受けたレフトフォールチャーチと、既存のザン教の信仰を回復しようとするプラトーの各住民のうちに、強烈な対決姿勢が堅持されている、という点であろう。

滝、の逸話の解釈は転じて、ディストリレートプラトーを単なる階層として捉えたがるミラジ教徒に与するレフトフォールチャーチと、プラトーの本来の形質を取り戻すことを目論むザン教の信徒を装った反乱分子や暗殺者集団の属する下部、という、帝国内の権力構造の再解釈へ、とも繋がっていく。そこには、かなり皮肉なようではあるが、イス帝国がミラジ教に侵攻される以前よりさらに複雑な固定され得ない平面が、幾重にも存立させられている、とも言えるのである。

だから、
「どっちにしても、あと50年すりゃ結果分かるし」。
という、どこにでも居る浅薄な村の若者の呟きは、イス帝国内のザン教とミラジ教の対立を的確に言い当ててもいるだろう。結局の所、終末は訪れ得ないから終末、というわけだ。

一日の行動の優先順位

1 カタロフ山脈の滝に打たれる

2 アフォルムの寺院で説法する

3 ムスクの新設計画に頭を悩ます

4 ザン教からの異端認定への抗議書を提出する

5 麝香の匂いをかぐ

6 チルズレイ銀行に金を借りに行く

SPECIAL
2563665
闘争華美飽食享楽不寛勤勉渇望
222
空間時間
06
保持スキル説得布教修行

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