Pillars of Eternity と同じゲームエンジンを使っているということで、(開発会社は違いますが)何とか画面内キャプチャツールを使って機械翻訳しながらプレイできないか、ということで進めてきたTorment: Tides of Numenera(以下記事内ではToN)ですが、結論から言うと、プレイ開始十時間辺りで挫折しました。
以下はその戦いの記録。
前回の記事で、世界観の作り込みは凄いっぽいし、なんとかクリアまでたどり着きたい的なニュアンスで書いてしまい、もし読んでくれた方には申し訳ないです。(まあその記事内でもかなり批判的なことは書いてありますが)
また、自分としては基本的に一度はゲームクリアしてからでなければ「総論」的に語りたくない、という気持ちはあるんですが、一応、挫折の記録として、なぜ最後までたどり着けなかったか、を蛇足だとは承知しつつも記録しておきたいと思います。
というわけで、Torment: の熱狂的なファンの方に対しては、とても愛のない記事にもなっております、申し訳ありません。(さらに云えば、Planescape: Tormentの内容とも全く関係がありません)
で、その流れで海外の方のSTEAMレビューなど見ると、概ね私自身がここまでのプレイで得た感触と同じ、でしたね。表題にも書きましたがコレ、はっきり言ってゲームじゃないんです。
好意的に見ればゲームブック的、ということなんでしょうが、その評価すらもゲームブックに失礼、だと思う。もしこの記事を読んでくださる方がいれば、その多くはやはりPoE と同じゲーム開発技術を使っている、という点から、PoE と同様のD&D風のゲームを期待されるでしょうが、このToN は全くもってその期待に応えられるような代物ではありません。
一つ前の記事でも書きましたが、やはり最大の欠点は、戦闘がほぼ起きないことです。(ToN の中では戦闘のことを「Crisis」と呼ぶんですが、その名の通り、危機は滅多に起きないし、会話内選択肢によって回避も可能)
上図のように、プレイヤーキャラクタのカスタマイズイベントは何故か豊富に起きるのですが、戦闘ほぼ無しじゃそもそもカスタマイズする意味がないじゃないっスか。
仮にこのゲームがクソゲーなのだとしたら、そのクソゲー足るシステム的な要素、を笑ったり、もしくは微妙なバランス変更で神ゲーに変貌したり、と言ったことも考えられるのでしょうが、このゲームにはそもそもシステム、と云ったものがほぼありません。で、その大元の原因は、繰り返しになりますが戦闘の非存在とその代替物でなければならないはずのEffort(前記事参照)の単調さにあります。
それでも百歩譲って云えば、このゲームはPoE という絶妙な戦闘バランスを持つゲームと同じエンジンを使った、(Baldur’sGate などの系譜に全く繋がるはずのない)、ポイントクリック型アドベンチャーゲーム、ではあります。ただ、そのアドベンチャーを構成するはずのEffortというシステムは、いくらでもやり直し可能、その為に使用する能力値もアイテムで幾らでも回復可能、という、何とも緊張感のないものになってもいるのです。
つーか、逆に「ゲームとは一体何なのだろう」と考えさせられる瞬間が、このゲームをやりながら頻繁に訪れました。まあ、それにしても、もう少し、もう少し、と言った感じで
序盤のSagas Cliffsまではなんとか探訪してみたんですが……。
上は世界から言語の失われるたびに生成される「舌」の泉。
下はプレイヤーと同様のCastoff が封じ込められている大時計、です。
本当、グラフィックに関しては特異で変態じみていて素晴らしいんですが、もうそしたらPortalとかThe Talos Principle のように完全にオープンワールドのパズルにすべきですよね。そのグラフィックを作り込むためだけにPoEのエンジンを借りてもしょうがないだろう、と。
いやいや、そもそもお前が拙い英語力で且つPoE を期待してやるのがいけないんで、戦闘より会話に焦点を当てたTRPGと考えればやりようはあるだろうよ、とツッコまれる方もいるかとは思いますが、そのNPC との会話にも一つ文句を付けたいところがある。
上の画はFloating Orbの上で漂っている檻の中のテンタクルスを殺すべきか、という結構きわどい場面なんですが、(nychthemeronsとかいう化け物は結局どっかテレポートする)まあこの辺もTRPGにはよくある仕様で、1、2,3,4と選択肢が一見多くあるように見えて、そのうちのどれを選んでも他の選択肢は消えず、順次、上から次の会話を派生させるための該当する選択肢を選ぶまで、ただ順番を変えて相手の与えてくる情報を「消費」する仕組みです。
で、ちょっとうんざりさせられるのは、普通のRPG だったら一度選んだ選択肢は消えていくと思うのですが、このToN の場合は、いつでもその情報を再参照できるように、~~again ? という形でテクスト画面内に残り続けることですね。これは、ちょっと興を削ぐ。
まあ、だからプレイヤー側の主体的な選択が事態を一変させる、という可能性が、極端に排除されている、仮にそれはそれで仕方ないとしても、その可能性の排除そのものが画面内に、なんとも親切な体裁で残されてしまっているのです。このゲーム内におけるプレイヤー側からの選択可能性の排除、に気付いたときに、あ、ちょっとこれは無理かもな、と思い始めました。
たとえば、Obsidian によるPoE の次の作品であるTyrannyなどでは、この選択可能性への配慮、もしくはプレイヤー側にそうした選択可能性への錯覚を与える仕掛けが、随所に散りばめられており、NPC との一つ一つの会話が、緊迫感に満ち溢れていた。当然その帰結の一つには、やむなく(もしくは初めから意図した)相手方との戦闘があり、そうして考えると、ゲーム内における戦闘とは、プレイヤー側が交渉の果てに取りうる選択の局地とも言える。
で、そこにおいて勝敗を決するために、自分自身が敗残者となってゲームオーバーの画面を表示させないために、どう立ち回るか、というのがやっぱりRPG の醍醐味でしょう。
だとすれば、このToN というゲームは、そうしたRPG の本質をはじめから捨て去ったゲームだと言わざるを得ない。まあ一言で云うと「やらされてる感」ということになるんでしょうが、今、上に述べたようなことをすべて了承したとしても、アドベンチャーとしてもこのゲームは上手く機能していない。
この画像のようなパズルもありますが、うーん、さっぱり分からん。
パズル、謎、ギミック、そう云ったものが散りばめられているのであれば、それらを解いたり、可動させたりしたときに、ぎぎぎぎっ、と、なんか動きがほしいですよね。
PoE などでは同じ見下ろし視点を維持したままでも、頻繁にイベントシーンがありましたし、再三云うように、画面内でやっぱりプレイヤーが最も動的に操作を強いられる要素というのは、戦闘にほかならないわけで、とにかくこのゲームには画面内に動きがないんですよね。
だから、プレイヤーが驚かされるのは、初めに緻密なグラフィックで構成された「場所」を訪れたときのみ、ということになる。
いや、お前がアドベンチャーを期待しているだけで、そもそもこれは「読むゲーム」、「小説のゲーム化」なのだよ、と仰るTorment: ファンもいらっしゃるかとは思いますが、この点についても私は反論したいと思います。このゲームはゲームではないどころか、小説ですら無い。
一般に、たとえばこのToN と同様に二人称的な形式を取る日本産のノベル系ゲームでは、当然ながら地の文、の描写は重要ですよね。オープンワールドのゲームであれば、その辺はイベントシーンとして、キャラクタそのものの所作として置き換え可能ですが、ノベル、ではまさに小説として、生起するあらゆる事象を描写しなければならないわけですから。
ただ、このTorment: Tides of Numeneraでは、そうした地の文、に当たる描写も極端に少ない印象ですね。それよりも、こちら側のキャラクタの質問に対する答え、要は次から次へと現れるNPC による会話文が、延々と展開されていく。
さらに本まで出てくると、もう……。
何が言いたいかと言うと、これ、テクストの殆どが会話文なのです。地の文、として描写されるはずの、「事件」がゲーム内で全く起きない。プレイヤーがたどり着くのは、既に何かが起こった後、の世界です。
勿論、会話文のみで構成される小説、などもあるにはあるんでしょうが、仮にこの作品がそうした意図を持って作られているとしても、それを三人称見下ろし視点の、PoE の技術を借りたエンジンで行おうというのだとしたら、あまりにいびつだし、バランスが取れていないゲーム設計だと言わざるを得ないでしょう。
↑キャプチャ翻訳で頑張ろうとする俺を瞬殺するNPCの陣形
まあ私も頑張るには頑張ってみたんですが、このChurchに入った瞬間に折れましたよね(笑)。狭いし、何かみんな、めっちゃ喋りそうだし。
ですので、これは特異なグラフィックで小説イメージを膨らませようとする、ゲームという体裁を採った「小説」ですらないのです。なぜなら、そこでは何も起きないからです。
特異な質感で、初めに訪れたプレイヤーの目を奪う各種のエリアの元に配置されているのは、常に曰くのある奇妙なオブジェクト、血痕、永遠に使役され続ける機械、など、やはりプレイヤーキャラクタたちがそこに至るまでの過程の中で、既に運命を決定づけられているNPC たちのみであります。
徴税人になるために予め自分たちの体を徴収されておかなければならない小役人たちなど、勿論その設定の一つ一つは面白いのですが、その設定の一つ一つが、まとまった構造の中の因子の組み合わせとして上手く機能していないことなどについても、前記事で書いたとおりです。
そしてそこにあるのは、会話、会話、会話の山。翻して考えてみると、会話、っていうのは特定の視点人物から見られた、世界に対しての解釈、ですね。
叙情、叙景、叙事、っていう単純な範疇分けでいうと、
1 プレイヤーキャラクタとの動的な感情のやり取りを含む交渉の余地はほぼなく、
2 地の文による情景の詩的な描写の余地すら無い、
そして、
3 ほとんどが叙事的な描写、世界の解釈を自分の視点から行うNPC たちとの会話がただ静的に折り重なっている、
Torment: Tides of Numenera とはそんなゲームです。
繰り返しになりますが、そうした会話の山がゲーム的なシステムを持っているとはとても言えないし、一方で本来なら通常の小説が持っているはずのスペクタクルと読み応えをテクスト自体が備えているわけでもない。これも繰り返しになりますが、想像力豊かな美大生の作った奇妙に衒学的なインスタレーション、ざっくり云えばそんな感じでしょう。
以上が、Torment: Tides of Numeneraへの私の感想です。いやそんなことは海外のSTEAMレビュー読めばわかることだろ、とツッコまれればそれまでなんですが、それでもやっぱりPoE と同じエンジンを搭載しているのであれば、そしてトレイラームービーのあの奇妙さを目にしているのであれば、これ、もしかしたら糞面白いんじゃねえか、って考えたくもなりますよね。
とは言え、前記事からの続きでCapture2Text当てながらプレイしただけですので、もし当方の環境依存でゲームプレイのテンポや魅力を損ねてしまっていたら本当に申し訳ありません(いつもながら上記の感想はすべて主観です)。
また、もし前記事を読んで興味を持ってくださった方がいれば、引き続きプレイを続行できずにすみませんでした。と、重ねてお詫び申し上げます。何にしても、私のようなブログ記事執筆者が手を出して良い代物ではなかったようです。
では。
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